昔の施設身障者もいろいろだった。島田の身障園生たちも就学猶予ながらも理解ある教師がボランティアとして勉強を教えていたから、読み書きもでき、寝たきりの野口栄一君も代筆で詩などを書けた。
でも、全然勉強も教えられず、読み書きも少ししかできない身障者も施設・在宅の別なく多かった。戦後も長く就学猶予は続いた。1979年以前の養護学校も就学猶予扱いだから、法律的には僕も未就学になる。文部省の怠慢は大罪である。
そのような施設身障者とかなりのボランティアたちが友人になろうとして話しかけ、その異性から求愛されて困ったと。どんな話したのか。友人になる前にそのような人たちは勉強と教育権が大切だが、教職課程を学んでいないボランティアの若者たちは教育的なものを求めることはムリなのか。
それにしても、以上の人たちの言う「友人」は何なのか。そのような人たちの一部の話によると、「歌謡曲の話もできる気楽な付き合い」。聞いた時の僕も友情が判らなかったが、今思うとそれはムードだけでおかしいし、第一、勉強の機会の奪われた人たちにとっては、気楽な付き合いは何のためにもならないでしょうが。厳しく言えば、ボランティアの自己満足で。ボランティア自身の為にもならないわけですね。
因みに、その後、放送大学するようになり、学問の話を手紙に旧友たちに述べ、共に学ぶことをしている内に、友人関係は何でも良いから、共に向上や成長を目指す関係だと気が付きました。芸術でも良い。「気楽な付き合い」は違う気がします。