北海道も広く、ひどい施設も遅くまで残っていたようだが、鹿野氏含む、複数人の証言によると、「札幌では人々に愛があり、困ったことがある人には、友人や知り合いでなくても、当たり前のように助ける。その土台に乗り、80年ごろから重度身障者がアパート借りての一人暮らしの自立運動が始まった。生活保護で。社会人、学生、主婦と本当に当たり前の感覚で生活や外出の介護をしてくれた。寝たきりの人も自立生活ができた」とのこと。
時は経ち、今の総合支援法の前身の自立支援法ができた2005年、小山内美智子さんなどのそこの身障運動家たちはそれに反対。「困った人を助けることは人として当たり前なのに、何も法制化する必要はない」と。そのような声が出たのは、僕の知る限り、札幌だけです。若いヘルパーさんとも「そこと、ほかの地域は違うんだよね」と言い合ったこともあります。
ボランティアたちでさえ、生活に困った身障者を見ても、仲良しでないと目を向けない。昔から僕が怒ってきたことですが。とは言え、仲良しさんになっても、約束破るなど、中途半端にしか関わらない。明治以降、同じ教育受けたのに、札幌と他は違う。確かに、仲良くは一種のエゴであり、愛とは違いますが、札幌の例を見ると、教育勅語だけが原因でもないようです。その他の要因は何でしょうか。
とにかく、日本全体が札幌みたいになってほしいです。
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書いて気が付いたが、身障者や知的障碍者、盲人、ろうあ者の健全者への感謝の気持ちは、ヘルパーさんと恋人は別にして、札幌みたいにならない限りは起きないのではないか。それから、札幌では、身障者と健全者の恋愛も当たり前。離婚もあるが、それは結婚制度という世界的とも言える大きな問題であり、例えば、故鹿野氏が離婚したのも仕方ないと思うわけです。