明治に作られた教育勅語も「仲良く」を強調するなど、人間本位で0計算発想は見出せない。陸軍と海軍が、諸政党が仲良くできなかったなど、戦前もすでに弊害が出ていたが、その流れを受け継いだと思われれる戦後の福祉関係や身障団体も、仲良くなろうとして内紛や団体同士、個人間のケンカが多く、早く潰れている。社会的な広まりも乏しく。戦前に話を戻すと、当時の日本の頂点ではあるが、これも神や無限ではないはずの天皇を神聖なものに置くなど、いかにも0計算発想や仏教の空思想がないものであることが見える。
日本は一応1945年で打ち切られたが、教育勅語を真似たものを取り入れ、天皇を国家元首に変えた、ソ連などの共産圏では戦後もその影響が続いている。北朝鮮は言うまでもないし、一度はソ連崩壊したロシアも今はその揺り返しで、戦争にもなるなど、その影響は本家の日本よりも深刻である。1989年のモスクワ放送で聞いたが、レーニンは旧ソ連南部の東方キリスト教徒とイスラムの争いを仲良くさせようと努力したが、89年の時も仲良くできてないと、嘆きとも思える事を報道していた。実現しないまま、ソ連は崩壊したわけだが。人間の努力だけで争いは解決するのか、非常に難しいわけである。(異教徒の争いみたいなことは、両方は一応神を信じているが、実際は0計算や無限ではなく、有限=人だけの発想だから、そこに経済利害なども絡み、最悪の時は戦争にもなると思われる。「私は神を信じている」と言っている人でも、実際は違う場合も多いわけである。)