小学1、2年の時の僕は宇宙に行きたい、気象観測もしたいと思っていた。90年代の福祉キャンプで子供向け宇宙や天気の文を書いた。心は本当に宇宙に行ったと。心の中にある真の願望は希望を持ち、前向きに生きればかなうね。
77、8年に行った島田療育園の時の僕の心はどうだっただろうか。特に、身障男性園生M氏の悲恋に考え込み、何とかして、活用して世間に広めれないかと思っていた。大学の文学部にいる同行者が将来は小説を書くかもしれないと思い、その後も島田などの事を話し続けた。書いてほしいとも思っていた。当時の僕は文に自信がなく、小説書けるとは思わなかった。でも、かなりたった今は僕自身が書いている。子供の時の宇宙行きのように。
やはり、若い時、女性と恋愛したい、恋文書きたい、デートしたいと思ったが、縁がなかった。今になり、何人もの女性に求愛され、愛と感謝の言葉を送り、さらには、日本・世界・宇宙・古生代などの画像を一緒に見て、心で行く、心のデートもして楽しんでいる。足が不自由な僕だが、心は一緒に歩いているわけだ。
心の中にないものはだれでも実現しないようだ。無論、僕は映画を作りたいと思わないから、作らない。僕の入る仲間関係は端から潰れていったが、理由も僕含む構成員が一つの仲間関係に凝り固まりたくない気持ちのせいだと気が付いている。構成員全員が潰れるのを望んだと言おうか。また、僕は明治以来の結婚は本当は望んでいないかもしれない。聖書にある結婚は望んでいるが、それは具体的にはわからない。