新約聖書のマルコ福音10章にイエスはモーゼの言葉を引用し、「男女は父母を離れて、一体なり」とあります。内、父母を離れ、は自立ですね。でも、一体は何がそうなのでしょう。クリスチャンに限らず、明治以降の日本の結婚観ですが、はっきり書かれていませんね。世界的に、今は苗字、経済、肉体とされています。そこに差別の根の一つがあるわけです。経済差別はもちろん、障碍者関係、ハンセン氏病関係、部落、在日系、アイヌ、琉球、外国のロマやアメリカ原住民、黒人と。
でも、実際はその3つではないでしょう。その3つに今はなっているから、上べだけの一体で不満も多く、離婚にもなると。そうではなく、深い深い精神性の一体が以上だと。無論、婚姻届けも上べだけ。真の解釈すれば、高齢者の恋愛や結婚の問題も解決するし、結婚に絡む多くの差別も緩和や消滅する、上べだけの結婚から不幸になる例も消えると思うわけです。結婚詐欺も消える。
今は相手がいない多くの男女も、「一体」という意味を深くとれば、今までの結婚形式とは違う形でも、愛の相手が見つかり、幸福になるかもしれない。愛に不自由しない社会の時代が来ればよいと思う。
僕を好きになってくれた女性たちに愛の言葉を送っているが、モーゼやイエスが述べたような相手はすでにいるのか、これから出会うのか、いないのか。いるとして、一人か複数か、自分ではわからない。深い深い魂の問題はそうだろう。それゆえに新たな希望も出るわけだ。これで良い。