身障者やその他の被差別者の男が女性を好きになり、告白し、「好きにはなれないの。良い友達でいましょう」と言われる例が日本では戦後の早い時期から多い。1925年生まれの身障の俳人の花田春兆氏の著書にも記されている。今は被差別者でなくても、そのように愛を断られる例が多いと新聞によく出ている。
でも、以上は友人や友情でもないわけだ。上べだけの仲良し関係で済まそうというものだと解釈できる。そのように言う人は友情も、恋愛も知らない人だと。「真善美を求めあった果てにできる絆=友情」と知っている人ならば、恋愛を断る理由には使わないからね。また、恋愛を知っている人ならば、相手が詐欺的とかカルト的でもない限りは断らない。その面からもおかしい。
また、花田氏の著書でも、その他の聞く話でも、男→女に限られている。逆は聞いたこともない。これもおかしい。
結婚制度がさらに崩れた社会では、一人が複数恋人を持つことも考えられるし、結婚の代わりに恋愛が幸福をあらわすものになることも想像できるから、冒頭に書いたことは激減するかもしれない。
もう一つ書くと、冒頭に書いたことゆえに、友人という言葉を嫌う身障男性も多いようです。その一人の切実な声も僕は聞いています。寂しさゆえ、酒依存で体を壊し、早くに他界しましたが。悲しく感じます。