小説名・林田博士が施設の中心にいながら、浮き、祭り上げられるようになることをこれからは更に書く。それには、80年代に行った例の教会関係での学習会が役に立ちそう。昭和天皇が満州事変以来、軍部に祭り上げられましたが、その経過と小林博士の件は非常に似ているからです。特に「心の通い」を欠いた点が。
その教派は戦前は天皇の名の下の命令に忠実で、聖書に反して戦争に協力し、多くの中国・アジア・アメリカ人を軍事志願した信徒たちが殺したことを戦後に後悔し続けている。他のかなりの日本のキリスト教も同じ歴史がありますが。後悔先に立たず。「戦前も戦後も公立学校は天皇の洗脳教育」と述べた牧師もいた。でも、戦後は日本の資本主義に協力した後、複数のレイプ牧師を出した。戦前の戦争協力、戦後のレイプ牧師と愛が欠落しているように僕には見えてなりません。性欲を信仰で抑える事は不可能ですが、相手と心通じて愛があれば、性欲は抑えられるから。戦争協力もそう。公立学校批判は言い訳にしか見えません。
もっとも、ここに来て、日本の各キリスト教の牧師レイプが色々と出てきている。7月には朝日新聞の投書にも、あった。島田では、聖書の愛と親子愛を混同も。聖書を上べだけ読み、自己流に解釈も牧師たちもしてきたわけです。
愛の大前提に、相手と心を通わす事があるわけですね。小林博士、戦争中の天皇、多くの教派で行なわれているらしい牧師レイプと、いずれも心の通いがない、冷たい状態である事が共通しています。外国では、ナチス党員とユダヤ系の人たちがそうでしたね。困った事です。