以下(昨日の文)の、僕にロシア人問題に目を向けさせてくれた友は女性です。かなりの人々はそうだと思いますが、友人でも異性の方が相手の事を深く考えさせられますね。やはり、シングルママさんの友の事も考えさせられ、その事も文の中に織り込んでいるし。思いやろうとしなくても、相手の事を考えちゃう。その事が恋愛の種としたら、その種はいくらでもあるわけです。やはり、身障女性に恋愛して、盛んに身障問題の啓蒙活動をしていた学生ボランティア男性の旧友も思い出します。
でも、その女性と仮に夫婦になった場合、最初はロシア人差別啓蒙もするでしょうが、次第に僕も面倒くさくなり、何も書く気がしなくなる気がします。自然に思いやる事もなくなる。また、既婚者がよく言っていますが、相手を女とか男と見なくなる。丁度、異性の親や子、兄弟姉妹をそのように見ないように。心理学者たちも判らず、研究途上の問題ですが、結婚生活は男女愛を冷やす傾向があるようです。昔の僕も考えましたし、1980年前後の日本やアメリカ、ヨーロッパには「人種とか障碍の壁を越えた結婚が心の壁を破り、差別を消す」という考えがあり、そのような映画も生まれたようです。でも、実際は差別は消えず、離婚が当たり前のままにもなっている。性愛は心の壁や差別を消すにしろ、結婚制度はその性愛を冷やす何かがあるのかもしれません。
因みに、複数の教派のクリスチャンから「エロスはアガペーにつながる素晴らしいものだし、相当の力もある。キリスト教はエロスも取り込んでいる。尊重すべきである」と聞きましたし、実際はイスラムも、ユダヤ教も、仏教もそうです。日本の神道もそうだとよく聞く。でも、長い間、エロスは世界各地でタブー視もされ、今もその傾向がある。それは何も各宗教のせいではなく、封建制思想のせいだと僕は見ています。旧約聖書にも「男は女なしで、女は男なしではいられない」ともあるようです。女性牧師推進の男牧師から教えられた聖書の言葉です。