今日は、旧約聖書・創世記第3章後半。「あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い(したい)、~」と、「あなたは一生、苦しんで地から食物をとる」。女性と男性への原罪の現れですね。2つ記せば十分だと思います。その少し前の個所にイヴがまず「知恵の実」を食べ、彼女にすすめられたアダムも食べ、神に怒られ、「原罪」というバツを与えられた記述です。
ユダヤ・キリスト教から離れても、特に男女の生き方と恋愛・結婚に深く関係しそうです。まず、女の例から話します。
子供を産むのは生理的な事ですが、そのあと、どうなりますか。子供の世話をしますね。その延長で夫など、色々な人の世話するでしょう。原罪のバツの一つに「世話」も入ると。
男の労働。そのあと、「お金」に引き換えられる。大昔からそうでした。原罪のバツの一つに「お金」も。
以上は聖書に関係ない日本や中国、アメリカ先住民にも通用する事です。
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ならば、資本主義前から、多くの男女は。男は女の世話を求め、女は男の労働の結果のお金を求めて、好きになったり、結婚してきた面があったと。双方、相手の原罪のバツを求め合ってきたようなものです。気が付いて、僕は笑いました。
バツは魅力ではないし、愛せるものでもないわけです。それを求め合っても冷たい恋人・夫婦になるだけ。せいぜい我が子の成長だけが楽しみの。そうではなく、相手の深い人格の魅力、男らしさ、女らしさを好き、愛する事は、できないかと。原罪バツだから運命だとあきらめることはないのではないかと。早い話、男は僕みたいな要介護者でも、世話はすべて公的サービスに任せればよい。女も、ぜいたくのバカらしさに気が付き、お金は生活できる最低限さえあればよいと思えば良い。双方がそうすれば、原罪バツは求め合わず、本当に相性の良い異性と深い愛も生まれ、生きている実感も湧きますよ。手や目が不自由で世話できない女性たちも差別される事はなくなります。運命は変えられます。