難しい個所の一つである。秦野のモデルの園生の恋愛トラブルの手記を僕が見たのは1977年。それ以前に書かれたわけである。事件直後には書けないだろう。3年はかかるはず。かと言って、電動タイプライター導入以前では、ラブレターは書けないから、あり得ない。石油危機で混乱した73年秋から74年も除外しなければならない。72年9月に設定したわけである。前章を布石にして。
最初は小野雪子なる女性職員を純粋に好きになる設定にした。彼の初恋として。どんな恋も最初は純粋に好きという気持ちだけであるから。それは前章終わりに少しだけ書いた。今回は恋愛特有の不思議な高揚感から始まった。あと、世間の流れに沿うように、次第にマイホーム作りの期待が恋心に入って行く。本人も恋心と期待感の区別が付かなくなり、次第には恋心は廃れ、期待感で感情的に熱くなり、夢うつつになる場面も書いた。「タイプ絵で生活費を稼ぐ」事も実際モデルの人は考えたとも僕は見ている。
彼について恋愛だと察した職員がいたかは判らない。でも、急に頑張るようになれば、変に思う人が少数でも現れるのが自然だろう。元全学連と琉球系の人が変に感じた事にした。それで前章と話は通じるし。
ラブレター。70年代の僕はひらがなタイプを使ったが、モデルの人はカタカナ・タイプを愛用した。それゆえ、カタカナ文にした。最初はラブレターを書き、次に誤字もかなりあり、なぜか、当時から各タイプライターにあった「@」で消印の代わりにしたわけである。その後、彼の島田でタイプライターを使う独特の姿と身体変化を挿入したわけである。
書き上げた日にたまたま小田急線内の切りつけ事件があったが、原因は失恋らしい。一方、高齢者が恋愛して元気になる例も増えている。どうも恋愛はものすごいエネルギーがあり、人を天国にも、地獄にもする。次章は当然「結末」を書く。恋愛と言えば、70年代の若者向け雑誌には、女子校出身で恋愛機会がなかった人たちによく「恋愛は友情や仲良し関係の延長」という投書文があったのを思い出すし、当時の僕が入っていた福祉会にも、特に女性にそのような見方が多かったが、それでは以上のエネルギーは説明できない。また、そのような見方の人たちにはいくら島田や身障者、マイの海苔ティの恋愛や結婚の話をしても理解してもらえず、友人にもなれなかった事も思い出します。その事は別の機会に書くことですね。
書けて良かったと思います。