検証は難しいが、明治以降の日本がそうかも知れない。
子供の時から親戚や学校関係から「夫婦の愛は子供ができて、子供を通してできるものだ」とよく聞いたものだ。1970年代までの日本の典型的な世間話だろうか。テレビのドラマもそのようなものが多かった。離婚した夫婦が子供を通してよりを戻す落語が戦前からあったのを見ると、その傾向は戦前からあったようだ。お見合い婚は本当にそのようなパターンが多かったし、昭和の時の恋愛結婚も実際は同じパターンが多かった。恋愛というより、性的興味とか、寂しさの慰め、マイホームへの期待感で接近し、結婚した夫婦が多かったわけだ。無論、それらは愛ではないし、恋愛でもないわけである。「我が子への愛の共有」から夫婦のつなぎ・愛が生まれて、初めて愛し合えるパターンである。
でも、万葉集や、旧約聖書の雅歌には男女のみずみずしい恋愛のことがたくさん描かれている。本来、男女は子供誕生のはるか前に愛し合うものである。性的興味や慰め、何かへの期待感に関係なく。江戸時代の古典落語にも男女の恋愛の事はたくさん語られているし、同性愛のことでも自由に行われたわけである。いわゆるイエ制度を尊び、封建的な生き方をしたのは武士階級に限られていたようだ。
それが明治になり、西洋の進んだ法制度などを取り入れたが、イエ制度は法律で規定され、その封建的な発想は庶民全般に広がった。自由結婚どころか、自由恋愛もその辺から世間的にタブーになり、例え好きな者同士でも告白し合う事もない例も多かった。戦前社会を描いたドラマで僕も何回も見たわけです。ある意味では、日本の封建制は明治憲法成立時から1945年までがピークだったかもしれない。今の象徴性ではなく、天皇を「神」にして、各家庭まで封建制度を行き渡らせたわけです。天皇崇拝、国家奉仕を強いられ、特に第二次世界大戦中はそうでした。男は戦地、女は勤労奉仕。本来は恋愛に向かう力を戦争に振り向けていた形です。そこまで明治の役人たちは読みこんだかは判りませんが。戦後になり、天皇崇拝も国家奉仕も消えましたが、長年隠されたようになっていたものは簡単には戻りませんね。恋愛は相変わらずできない例が多かったし、それを万葉集のように尊重する気風もなかったわけです。それは福祉関係にも影響しました。僕が訪問した島田療育園でもその件の対策は考慮されていなかったし、別の養護学校的な施設に小中学の時にいた身障女性は「そこは園生の恋愛は禁止」されていた。激怒していたし、そのような施設も多かったわけです。その女性は単に「障害者だから差別扱いされた」と言っていましたが、今の僕が思うにもっと大きな問題。その施設の運営者たちが恋愛尊重しなければ、こうなりますよ。さらには、社会全体が尊重しなければね。
以上は今の高齢者施設にも影響していますね。人生の終わり近くになり、恐らくは初めて知った恋の味に夢中になる高齢男女も増えている。ところが元々恋愛知らずで、短絡的に「恋愛=結婚」と思い合い、不都合を起こし、「非恋」を強いられる。不幸だし、そのような例は決して出してはいけない。自由恋愛の社会に変えないといけませんが。
因みに、明治から庶民もきっちりしたイエ制度になり、結婚もイエの目的でやり、挙式には身障者などのマイノリティ参加を拒否されるようにもなりましたが、この問題も以上とリンクしているわけです。身障差別というより、これも「恋愛を尊重しない弊害」の面が色濃いわけです。また、先日も述べた「何かを通して恋人や配偶者を得る事」とも絡みます。恋愛が尊重される社会ならば、そのような事はする必要もないし、あり得ないからです。そのようなことをする人たちは、身障者含め、社会変革運動、ボランティア活動、教会活動とすべて失敗していますが、それも当然でしょう。僕の心の中にもかつてはそのようなものもあった事を反省もしていますが。
とにかく、日本人も万葉集のようなみずみずしい感性を取り戻してほしいです。