心の成長をし合う関係ですね。互いの魂の向上を目指し合う。常に皆貪欲に何かを学びあって。学ぶ材料は何も本だけでもない。ありふれた草や雲からも多くを学び取れますよ。学びだけでもない。感謝のし合いもそうですね。励まし合いとか。無限に向上の材料はあると思います。
僕も若い時から友愛・友情が判らなかった。旧友たちの中にもいました。多くの人たちは「酒でも一緒に飲んで仲よく、楽しくする事だ。そうすると、例えば、身障者への同情も消える」と言っていた。何か違う気が僕にはしていました。確かに、そうすると差別意識や同情は感じなくなりますが、消えたわけでもなく、時間ばかり過ぎ、問題解決は先送りになるだけです。少なくとも、差別意識などを感じなくするために一緒に飲んだり、遊び事は止めた方が良いでしょう。
去年、フェイスブックで付き合っている、仏教に詳しい三岬氏という人から「これからは友愛社会になるよ」と言われ、改めて友愛・友情の事を考えてみたわけです。以上でした。
光明養護学校では、小学から高等部まで、冒頭に述べた事をし合いました。もちろん、僕も。でも、当り前にそうしてきたから、これが友情だとは気が付かなかったわけです。出身校の別なく、ほとんどの人たちはそうかもしれません。そして、高校卒後に知り合った人たちとは、男女とか、身障・五体満足とか、理系と文系の違いみたいな上べだけの事に神経質になり、付き合いに力み、「楽しく、仲よく」にもなり、薄い関係のまま離れるか、互いの意見の相違が認め合えず、大ゲンカにも。かつて光明学校で友愛していた人たちさえも友愛を忘れて、ケンカ別れにもなった。日本中の多くの場で繰り広げられた事でしょう。
ならば、恋人関係や夫婦にも言えると思います。男女は脳の構想も違う事も科学的に証明されているので、特にそうしないと離縁になりますし、そうしないと勿体ないでしょう。(女性に持てた乙武氏も遊ばず、何でも良いから、学び合う関係をしたら、良かったのにと思いますが)
人民が学び合い、励まし合う社会が出来れば、官僚の人民支配もなく、ヒットラーやスターリンみたいな権力者も現れませんよ。三岬氏はその事も言っているようです。その通りの社会・地球になってほしい。その場合、人間の枠も超え、動植物にまで友愛は及ぶと思いますが...。