島田療育園に限らず、過去のものを再現して未来に伝える事は不可能ではないか。実例がある。80年代に島田の事を盛んに書いた身障ミニコミ誌である。会長自らが月に一度、広い紙面に2ページびっしり書き込んだ。原稿用紙は1枚400字。字数を数えていたわけではないが、原稿用紙100枚では済まされないだろう。どう見ても、一つの文が10万字はあったはずだ。それでも、問題の1%も書けなかった。「10万字」では読者も読みにくい。次第に購読を止めたり、料金を払わない人も増え、潰れた。また、月に一度とは言え、10万字も書けば、体に良いわけはなく、彼は28歳の若さで他界している。気持ちは痛いほど、僕には判るが、どう見てもミニコミに書く事はムリだった。
ならば、今のブログ文や文芸誌に仮に島田の事を僕が書いても同じになる。「10万字」の文は誰も読めない。僕の一人相撲に終わり、体を壊して、入院生活になる。見えている。
何も島田に限らない。例えば、光明養護学校や多磨全生園の様子も同じだと思う。僕の守備範囲外の事だが、相撲部屋や旧日本軍の詳しい様子も同じではないか。それどころか、誰にでも言えるが、自分の人生すらも。プログ文では到底書ききれない。
検索すると、1970年代の日本では、ミニコミが流行ったそうだ。それで社会変革とか、人々のコミニティ作りができると本当に思いこんだ人たちが多かったらしい。やや遅れたが、以上の身障ミニコミも明らかにその流れだし。また、70年代後半に僕が入った福祉会や身障会も、名称こそ違ったが、会報を作り、世間に配布したり、仲間関係を作ろうとするなど、今から想うとミニコミ活動していた。でも、僕も、他の全員も問題意識は描き切れず、歯がゆい思いをしたり、自分の事さえも書けず、仲間から人格を誤解された例も複数知っている。僕も誤解されていたかもしれない。ミニコミ類は本当は社会変革にはならないし、コミニティもできない。人を結ばないわけである。問題意識があるのならば、小説を書くか、論文を書き溜めて本を作った方がはるかに良いし、人と結びたければ、個人で友人を作るなり、恋愛を求めるなりすれば良いと。ミニコミ文化が早く消滅したのもわかります。
因みに、ミニコミ文化の根は各学校の文集であり、作文教育だと思われる。事象や自分の事を原稿用紙内に書き上げる。小説書きとは明らかに何か違うし、また、自分が書きたいから書くのが文なのに、課題として与えられて書く。同じ題を。僕は学校時代、作文が苦手だった。理由の一つはまだ手が不自由な人が使える筆記機械がなかったためだが、それだけでもない事に気が付いている。作文の白紙回答さえした事がある僕がこうやって小説や随筆を書いている。自分でもミステリーに思うし、面白いわけである。それにしても、学校の作文とは何だろう。僕には判らない。