先日、文芸誌文が書けなくなった事を書いたが、その前にはブログ文の限界も5年くらい前に感じていた。だから、文芸誌も始めたわけだが。更に過去。80年代には教会関係でミニコミ活動を経験したし、潰れた福祉会の通信誌作りもしたが、同じだった。当たり前の理由があったわけである。以上は大体2000字程度の文だが、真に問題意識を持つ事はそれに収めることはできないから。問題意識を真に持てば、仕事として身を投ずるか、小説という形になるしかない。それ以外の形は僕は知らないし、あり得ないかも知れない。僕にとっては、島田療育園の事も、身障者の恋愛・結婚の件も、2000字では書ききれないわけである。例の小説はその2つを同時に書ける。特にこれからが山場。小説の成否がかかると言おうか。それに対し、光明時代のことや童話は楽しくは書けるが、問題意識には基付かないため、深く掘り下げられず、種切れにもすぐなるわけである。何も光明養護学校の記憶が薄れているからでもないわけである。
問題意識と言えば、僕と同世代の脳性まひ者で、やはり、身障者の恋愛や結婚の件に問題意識を持つ男性がおり、色んな人たちにその事を話しまくっていたが、医学生などの一部しか相手にされなかった。これも当然だったかもしれない。ブログ文にも書ききれないならば、会話ではもっと不可能だからだ。相手にされない事を寂しく感じたせいもあろうか、ウィスキーという強い酒ばかり飲み、体を壊して、若く昇天した。以上を知っていれば、別の人生もあったと思うが。
今の僕は結婚制度の不条理・崩壊に問題意識を持っているが、それも島田の問題に含まれると思う。1970年代から島田は、それ以前から各地のハンセン氏病元患者たちは、明治以来の結婚制度の不条理を問い続けていたわけだから。その背後には、十字架上のイエスや、涅槃のシャカが我々に「これで良いのか、これで良いのか」と問い続けいたように思われてならないが...。