差別意識、拝金主義、過去へのこだわりなどの「狭い意識」ですね。気持ちが狭くなっている時は誰でも他人や社会には目が向かず、従って他人の自分への愛にも気が付かないか、拒んでしまう。また、差別されがちな人たちの人からの愛を拒絶したり、自らも愛の対象にしないとか。よく聞く、身障者などが恋愛の相手にされない理由の一つもこのよう事ではないかと。
「狭い意識」の中には同情も含まれると思います。拙小説で今年描く予定の一園生の悲恋は、同情しつつも愛の気を受け入れない一職員の様子も描きたいです。その他、「自分の所属するコミニティだけ」という狭い中身意識を持った時もそのような事が起きますね。その場合は社会や世界に無関心になるという、もっと始末に悪い事にもなるわけです。
日本にも差別される人たちがいるし、アメリカも先住民や黒人差別が深刻。その他の世界もいまだに多くの差別がある。コロナ差別という新しい差別もできつつある。もっともっと我々地球人は広い意識を持って、差別を消していかなければなりません。父母や先生たちからハンセン氏病患者への差別的な話を聞いておらず、その事も知らなかった事もあってか、僕は伊藤まつさんを見下す事はしなかったわけです。それゆえ、まつさんからの愛の気をそのまま受け止めた。もし、何かの差別意識があれば、愛の気も受け止められず、そのまま離れたわけですね。その場合、僕も別な人生になったわけです。
とにかく、狭い意識は損てすね。