1977年夏。すでに御高齢で体も弱っていた多磨全生園の伊藤まつさんという人に、僕が何故か、当時使っていた電動ひらがなタイプライターで「僕の事を孫と思って下さい。僕もまつさんをおばあちゃんと思うから」という簡単な手紙を書いた所、僕の事をさらにまつさんは可愛く思い、精神力や身体さえも丈夫になり、絵なども盛んに描くようになった事です。そこの医者も元気になった事を認め、「判らない」と首をかしげた。今思うと、「オキシトシン」で説明が付く。僕を愛する事により、オキシトシンが脳内に分泌され、自律神経や免疫力も強まり、元気になり、脳の回転も速くなって絵を盛んに描くようになったと。
では、この僕が何故そのような手紙を書いたのか。「気のやり取り」で初めて説明が付きます。
手紙を書く少し前、まつさんは僕に「体の不自由なあなたの為に何かできないか。来てね」と人を介して言ってきたから。その時、僕はまつさんの僕への愛の気をもろに受け取り、まつさんの気持ちも見えて、その返信として、以上の手紙を書いた訳です。
元々は伊藤まつさんから出た愛の気でした。それを受け取った僕は、僕の愛の気も作り、併せてまつさんに送り返した。そのような事だったと思います。愛の気のキャッチボールみたいになった。まつさんが昇天するまで行き続けたわけですよ。
恋愛でもないかもしれませんが、男女には違いないし、恋愛に通じるものがあったようですね。「気」とオキシトシンを絡めて初めて説明も付きます。説明には21世紀の科学が必要だったわけですね。
同性愛とは別に、男同士、女同士の気のやり取りもあると思います。思えば、島田療育園の身障園生や職員たちとも気のやり取りをした。僕も受け止め、強い記憶として残った。今はその気のお陰で小説が書けていると言わざるを得ません。伊藤まつさん、島田関係と僕にはどちらもありがたい事です。