「気」を仮定すると理解できてくる。いわゆる「男の気と、女の気の放電現象みたいなもの」だと。但し、電気とは違い、男女双方が流し合うものだと。それは何かの理由で必要だからあると。身体・精神と好影響が基本的にはあると僕は見ている。
とは言え、あくまでも推論であり、肝心の「気」の解明がまだである以上は今はどうしようもない。
それゆえ、恋愛は余り重要なものとは見なされず、「根は性欲」とか、「友情の延長」とか、中には「甘えの延長」みたいな珍説も聞くわけである。性欲が根ならばレイプとどう違うのか。又は、友情の延長ならば、何十年も付き合っても互いに好きになれない異性友人が誰でもたくさんいるのは何か?みたいになってくる。未知科学を絡めないと説明・理解もできないわけである。
それゆえ、日本でも弊害がたくさん出ている。同性愛差別はその一つだし、障碍者や高齢者の恋愛がずっと軽視されているのも大きな弊害である。軽視され、バカにさえされる。「体が不自由・高齢なのに恋愛かと」とか。当人たちは悲しい想いである。その様子の一つを今年は拙小説で描きたいと思うが。しかも、「恋愛=結婚」という社会通念があり、障碍者や高齢者たちの99%くらいもそのような通念を持っているから、ことは更に厄介である。自然現象だと思われる恋愛と、人為的な制度の結婚は違うわけだが、こう言っても多くの人間は今は判らないだろう。
問題はかなり違うが、ハンセン氏病の菌の事がまだ中途半端にしか判らなかった時は世界中でその患者さんは感染を恐れられた。でも、菌の性質が判った今は世界的にも恐れられていない。恋愛も、同性愛の事も科学的に理解する事も必要だと僕は思うが。
とにかく、恋愛からの悲劇は今後はない社会にしていきたい。
コメント
Yoshi
2021年 03月22日 12:10
恋愛は誰でも自由ですよね