ハンセン氏病患者が出ると、その親戚一族が全部「保菌者」とみなされ、その独身の人たちが結婚できなくなった事である。そこに嫁いでいた女性が離婚するとか。「オレがいたんじゃ、お嫁に行けぬ」という歌の通り。それゆえ、その病気の患者が出ると、隠したり、療養所ができた後はそこに追放され、戸籍も抜かれ、療養所内でも偽名を使わざるを得なかった。それに尽きる。
多くの全生園サポーターから「感染や経済性を差別の原因する見方の人たちは上べだけだ」と聞いたが、まさにその通り。近年も元患者の国への訴訟があったではないか。
また、別に書く予定だが、僕の見てきた島田療育園での重度身障園生や職員たちの結婚難の問題にも通じている。職員たちだが、夜勤が多く、生活が不安定。そのような人と結婚すると、パートナーの生活も成り立たず、結婚できない状態があった。1977、8年の事である。当時の日本人の幸福観は、結婚してマイホームを作る事。それゆえ、福祉には関心を持っても、そのような所の職員になる人は少なく、慢性的人手不足に陥っていた。旧友の東大法学部の天才頭脳を持つA氏が「結婚制度を潰さないと福祉はできない」と絶句したのを覚えている。
確かに元患者などは戦前、戦後と結婚制度のひずみを受けたし、他にもたくさん例はあると思う。では、その結婚制度は人を幸福にしただろうか。離婚や夫婦不和の激増は何なのか。それ以前の問題として、愛ではなく、マイホーム作りを目的とした男女交際になる例が少し前までは目立った。男性は家事がうまい女性、女性は高収入男性を求めるとか。それは問題の一部に過ぎない。愛のない結婚も目立ち、時を経て、離婚に至る例が非常に多い。A氏も「結婚制度が本来の恋愛をゆがめている」とも指摘していた。その通りだと思う。
感染性は医学的な問題であり、医者ではない者は述べられないと思う。でも、それに伴うハンセン氏病患者の結婚関係は全ての人たちの問題だし、他の問題にも通じているから、僕も改めて考える次第である。コロナから以上の歴史を繰り返す事がないように願う。