お陰様で、本小説も18章まで書けた。今回は時間的には短いが、身障園生たちにとっては大切な事である。
僕も経験があるが、口述筆記と、何らかの機械を使って自分で文章を書くのとでは書く感覚が違う。まず、口述筆記ではどうしても介助者との歩調合せに気を使う。それ以前の問題として、すぐそばに他人がいれば、落ち着いて考えをまとめることはできない。それゆえに、1970年前後に日本に普及した電動タイプライターは手が不自由な人たちの表現力を高め、結果的に障碍者運動や、文芸を伸ばしたわけである。
でも、今回はまず、二人の男女の身障園生の「初めて自分で字が書けた」という喜びの姿を再現した。二人の身体状況ははっきり覚えているから。小説名の高田勝男氏の手の具合ならば、最初からうまく打てたと見て。秦野幸雄氏は手も、足も動かない。氏は最初は戸惑いつつも、「ものすごく頑張った」ことにした。実際、島田療育園に限らず、そのような身障者も多かったわけだから。そして、頑張りの果て、打てるようになった事にした。因みに、氏の言葉の「私はタイプと共に生きる」は僕への手紙の中にあった言葉である。生かしたかった。小説なので、ある程度の創作は許される。その言葉を氏のタイプ自筆の「最初の言葉」にしたわけである。また、そのような気持が、氏のモデルの人に最初からあったに違いないと思われる。
次の章は職員たちの様子を書くが、タイプライターの事は次の次の章に通じるわけである...。