島田身障園生M氏の言った「神の罪」も当たっていますね・旧友たちへのメールから
ほとんどの日本人がそうだが、深い葛藤の根は明治以降の結婚制度が何らかの形で関わっている。島田身障園生たちも同じ。
一方、本当は神・聖書・教会と3つは微妙に違う。特に、3番目に挙げた教会というものは、神や聖書とは大きく違うが、無教会の人たちは別にして、ほとんどの日本人クリスチャンは3つを混同して信仰している。無論、M氏も。
その日本の教会はどの教派も明治以来の結婚制度の上に成り立ち、それ以外の結婚の在り方は考えようともしない。それで僕の行った教会関係の部落関係の人たちは「その結婚制度に戦前も、戦後も乗り、戦前は強兵目的の人口政策、戦後はマイホーム主義に加担し、部落民たちを差別してきた」と非難もし続けていた。無論、島田関係にも言える。車イスに乗ったままで、全然体が動かないM氏の恋愛・結婚生活は何なのか。固定化された結婚の姿しか追及できない教会の罪の一つではないのか。大罪とも言える。
話を戻すと、神と教会の区別が付かないM氏にとっては、まさに「神の罪」と言いたくなったのではないかと。判る気がする。
自由恋愛・結婚の社会では、たとえ施設の中でも、自由に恋愛とか、事実婚もできるわけだが。M氏は気の毒だし、本当は全ての人たちが明治以来気の毒なのだが。島田で僕が一番問題意識を持ったのは身障園生たちの恋愛や結婚の問題だが、今思うと、それは全ての日本人の問題だった。