1970年、暮れも押し迫った日、イタリアに本社を置く、日本オリベッティ株式会社の福祉課の社員が4人、シマハタを車で訪れ、電動のカタカナ・タイプライターの試供品を2台持ってきた。タイプライターは戦後は日本でも事務所で広く使われたが、キーボードを打つ時はかなりの力が必要であるため、指の力がどうしても弱い脳性まひの人たちは使えないものだった。でも、戦後の医学の発達で脳性まひ児が増加したヨーロッパでは、障碍児教育の現場で、脳性まひ児でも打てるタイプライターの開発が望まれ、オリベッティ社が開発し、1960年代後半には日本にも入ってきて、次第に養護学校で取り入れられ、シマハタにも話があり、その社員の訪問にもなったわけである。
社員は応接間でシマハタの説明を聞いた後、それが使えそうな園児たちがいる身障部屋に行った。男女園児たちと職員を前に、電動タイプライターの説明を行ない、まず、絨毯に座った姿勢の園児の高田勝男の前に机が置かれ、その上に電動タイプライターが据えられ、シマハタ第一号として、左手で打ってみる。
社員の一人は
「君は左利きだね。動く方の手で、動く指で打てばいいんだよ。中指が一番動くから、それを中心に使うといい」
とアドバイス。
女子の亀田安子は車いすに座ったまま。そこに社員が行き、体の状態を見て、
「君は手は動かないが、足の指なら動かせるね。靴下も脱いで、足の一番動く指で打てばいい。そのような人もヨーロッパにはたくさんいるよ」
と親切に語り掛ける。
手も、足も動かせない秦野幸雄。常に車いすに座ったきり。しかし、背すじはピンと立っている。車いすの上から、体を前後に動かす事はできる。机の上に置き忘れていた箸を一社員が持ってきて、
「このような棒切れを口にくわえて、キーを叩けないかな。イタリアには、そのようにして詩を作っている身障者もいるし。自分の気持ちをまとめて、自分で好きな事を書いてみるだけでも、気持ちがすっきりすると思うよ」。
練習した。最初は的外れだったが、5回、6回とする内に思う所に箸が行くようになった。更に、その社員は
「割り箸の方が打ちやすいかもしれない。でも、いきなりたくさん打つと疲れるから、今日はこの辺で終わることにしよう」。
初冬なのに、幸男はびっしょり汗をかいた。それだけ初練習に打ち込んでいた。真剣なまなざしそのものであった。まだ文章を書くには至らなかったが、ものすごくうれしそうな顔をした。
途中から後ろで見学した林田博士は非常に感心し
「ヨーロッパの福祉は素晴らしい。日本にも電動タイプライターが普及するといい。まさに、『初めに言葉ありき。言葉は神』だ」とつぶやいた。
寝たきりで、電動タイプライターの操作ができない野口栄一君も、皆のうれしそうな様子を見て、素晴らしさを感じ、代筆で日記に
「電動タイプライターを使える人が詩や作文を書けるようになることはとても良いことだと思います。ぼくは代筆でしか書けないけれど、それなりに好きな詩や作文を書きたいと思います」
と、皆を称えるように書いた。
その後、高田勝男は電動タイプライターが気に入り、「キョウノ オテンキハ ハレ」など、目に付いたことを少しずつ書いていき、亀田安子も「カワイイ ウサギガ ニワニ キマシタ」などを書いていった。秦野幸雄は、割り箸を口にくわえる練習を毎日やり、ひと月たった71年1月には文字が打てるようなり、さらに2月には
「ワタシハ タイプト トモニ イキル」
と文章が書けるまでになった。非常にうれしそうな顔をしていた。
さらに、秦野幸雄は
「これで人と心が通じることができるようになった」と皆に話した。
確かに、他人と心が通じるのは人間として生きることの基礎でもある。しかし、人間の心は複雑で、楽しいことばかりでもないのだが...。
コメント
Yoshi
2021年 02月09日 10:21
声や文章によって 言葉が通じるって 嬉しくなりますね^^