まず、飴状の耳かすがたくさんたまること。その他、入浴して水蒸気が自然に耳に入り、耳垢が膨れるようだ。実際、今回も入浴の翌日から聴力が落ち始め、翌々日はほとんど聞こえない状態。過去を見てもそのパターンである。別にお湯が耳に入るわけではない。その場合、中耳炎になり、大変な事になる。それは経験ない。大体、以上のパターンである。体質+水蒸気ならば防ぎようがない。メカニズムが推察で来てよかった。
その体質は父からの遺伝だが、父を別にすれば、僕みたいな体質の人は見た事もない。光明養護学校にも、その後の福祉会などにも。島田療育園でも聞かなかった。日本人としては珍しい体質。また、近眼の人たちはかなりいるが、難聴の人たちは以上には見た事もない。わずかに、光明養護学校の先生に二人いて、一人は「ろう学校から来た」。つまり、聴障児の学校である。自分が難聴だから、そのような学校で教えていたとの事。中学の男子の家庭技術の先生。大変優しく、僕をある事でほめて下さったのを覚えている。今は感謝している。
日本人は体質的に難聴者や聴障者が少ないのかもしれない。また、飴状の耳かすの人たちも少ないから、弊害もなく、その為もあり、入浴文化が発達したのかもしれない。もし、弊害の多い人が多ければ、こんなには入浴文化は発達しなかっただろうに。また、それが故に聴障者ヘの理解も遅れた。しかし、いくら少数派でも、相手の事を、立場や状況をうんと思いやれば、理解できる。「体質のせいで理解できない」は言い訳にもならないわけである。これからは耳の不自由な人たちの事も思いやろうではないか。
因みに、聴障でも、生まれつきの聴障と中途聴障は違うはず。特に、手話の習得。中途聴障には不可能な人も多い。また、聴障と手の重複例も手話は不可能である。聴障と盲の重複も。聴障=手話でもないと。TVの手話通訳がある番組も役に立たない聴障者もいるわけだ。
個人的な想いを述べると、自分の難聴のほか、昔少しだけ付き合ったK氏の事も一連の文の根にある。昔の僕は不理解。でも、一生を掛けて理解し、友人になる感じで良いと思うように。納得もしている。これで良いと。そ
コメント
ジィジ
2021年 01月19日 19:12
一生をかけて
良い言葉ですね
焦らず 慌てず 少しずつで 良いと思いますよ
理解しない 器の小さな人間は、それだけの者なんですから
トシコロ
2021年 01月20日 10:09
>ジィジさん
ありがとう。