数年前、北海道のどこかの町で、聴覚障碍を持つ人が殺人事件を起こしたと、ヤフーかミクシーのニュースで目にした事です。TVや全国紙には載りませんでした。北海道以外の人たちはほとんど知る事もなかったわけです。また、そのニュースも詳しくは報道していません。殺した人はかなり減刑されるかもしれませんが、それだけでは済まされない事ですね。
詳しい様子は知らないので述べようもないですが、殺人事件は当事者や社会の葛藤が無数に重なって起きます。いわゆるお金だけでもありません。この場合も同様で、特に聴障者特有の偏見や不理解、誤解、差別などが何重にも重なり、起きた事は間違いありません。それも悲しい。殺された人も、殺した人も。不理解や差別する側も猛烈に悲しいわけです。
それから、北海道に限られるとは言え、「聴障者は殺す。恐い」という新たな偏見が生まれたのではないかと。僕も懸念しています。
そう言えば、手話会では、聴障を持つK氏は「聴障者の悲しい話」ばかりしていたそうです。楽しく手話を学ぼうとしていた人たちとも合わず、ケンカになったと聞いた事があります。今はテレビ番組のかなりにも字幕スーパーが入るなど、日本の状況も少しずつ改善されていますが、当時は字幕スーパーもなく、聴障者たちは完全に日本から疎外されていた時代です。「悲しい話」も当然でしょう。楽しくやりたくても、聴障者の当人たちはできない。それを健聴者は理解できない。どちらも悲しいです。また、そのように聴障者たちを察する事が出来ない健聴者側も、例えば、健聴者同士も上べだけのやり取りで済ませている事が多く、これも冷たい関係であり、今度は健聴者同士の関係に跳ね返ってくるわけです。
何も対聴障者に限らず、他人の気持ちや状況を察して下さい。隣人愛してください。以上から、僕はイエス様やお釈迦さまの叫び声が聞こえる気がします。