「聴障を持つKの島田、全生園訪問」もかなりの問題がありますが、その他に彼の当時通っていた大学の手話会でもトラブルがあったと聞きました。当時の僕は「協調が大事」と言った覚えがありますし、他にも同じ助言をした人たちがいました。聴障関係は難しいし、何も聴障者に限らず、「協調」だけで問題が解決するか、難しい例が非常に多いですね。Kの件は、会の別なく、彼と接した人たちの思いやり、愛、想像力が足りなかったと思います。「聞こえない」とは何なのか。本人の立場や状況を察する事が。また、手話を広める運動にしても、どれだけ健聴者は関われるのか。一つ聞いた事によると、その手話会で健聴者も、Kと同じような事をして手話を広めようとしたところ、Kは「健聴者は聴障者の気持ちが判っているのか。気持ちが判らないで、手話を広めることはできない」と言ったそうです。難しい問題ですが、少なくとも、「協調」の次元の問題ではないですね。僕などの行なった助言は的外れでした。
聴障関係以外に目を向けても、「夫婦や親子の仲も協調では解決しない」とよく聞きます。1985年ごろに交友した教会関係の名古屋の一人も「諸々の差別問題は協調では解決しない」と言って、悩んでいました。「ケンカになっても良いから、意見を堂々と言う事が大事」だと。でも、今の僕が思うに、意見として自分の見解や意見をまとめられない例も多いわけです。
コメント
ジィジ
2021年 01月16日 17:36
こんばんは
ジィジは、思います
健聴者側は、力になりたいと 思う気持ちが
お節介の一歩手前に なるのかな?
また 聴障者側も 自分の気持ちなんか 誰にも
分からないとか 壁を 作ってしまうかも?
やはり 喧嘩してでも お互いの気持ちを ぶつけ
合って 意思疎通を 心見るのが 良いかも?
難しいでしょうが