難聴から、また昔の福祉団体で一緒だった、聴障を持つK氏の事を思い出しました。
彼は島田療育園に行っても、多磨全生園に行っても、独りポツンとしていただけで、何の関心も示さなかった。つまらなそうでもあり、誰とも付き合わず、すぐ止めた。子供会や盲学校にも無関心だった。
当然かもしれない。「聞こえなければ」何の気配も感じない、聞えないから。それらが判らない。島田の園児・園生・職員たちの事も、全生園のハンセン氏病元患者たちの事も「判らない」。仮に子供会に行っても、僕の母校の光明養護学校に行っても同じだと思います。福祉会の合宿やコンパでもそうだった。
もし、今みたいに難聴の僕が島田療育園に行っても、同様でしょうから。全生園で親しくなった伊藤節男伝道師や伊藤まつさんと出会っても、同じになったと思います。それどころか、「拷問」みたいにも感じるはず。「判らなければ」自分なりの目的も見出せないから。目的や意味の見出せない行動は拷問に等しいわけです。帝政ロシアやスターリン下の重要犯罪者への刑罰は、何かの単純作業の繰り返しだったと聞いたこともありますし。後にKの親友から聞いた事では、Kはその会の活動がイヤだったとか。聞えないがゆえに、拷問みたいに感じられた。僕も常時難聴者ならば、同じになったわけです。それは悲しい事ですが、もっと「聞こえない」状況を思いやるべきでしたね。配慮欠落がKの悲しい状況を作ったと今は気が付いています。
コメント
ジィジ
2021年 01月16日 09:20
おはようございます
そう言われて 目からウロコですね
私達は、良かれと思い 接しようとしますが
相手の意図が 分からず 優しさの 押し売りと
してるのかも 知れません
理解するのは、難しいでしょうが 何とか
見守る事ぐらいは、したいと思います