光明養護学校時代の同級生たち、卒業後に多く出会った色んな福祉会、親睦会の仲間たち、身障会とサポーターの人たち、島田療育園の身障園生たち、教会関係の人たち、90年代の福祉キャンプの人たち。1000人は超える人たちの声を聞いたが、99%以上は「結婚」である。若い時の僕もそうだった。今まではそれに疑問は持たなかったが、最近、おかしいと思うようになった。人間の個性は多様でやりたい事も一人一人違うはずなのに、判で押したように同じ事を言っている。無論、結婚に伴う物理的・経済的な障壁や差別の事は社会問題として考えなければならないが、それにしても一様にこの通りとは何なのか。今は2つ理由が見えている。
一つはマスコミや世間からの洗脳。言うまでもないだろう。特に、テレビが普及してから、幸福な結婚を描いたドラマが多いから、その影響は強いと思う。
もう一つは、本当にやりたい事が見つけられない人たちが非常に多いこと。小さい時から。親・学校と子供たちのやりたい事を引き出してあげているのか、疑問だから。1970年ごろ、すでに羽仁進氏は学校教育のこの件に警鐘を鳴らしてさえいる。子供時代からそうならば、型にハメるような教育が多ければ、大人になってもやりたい事が判らず、いきなり結婚を求め合うようになるではないか。そうしても大体は相手が見つからない。見つかって結婚しても、心がすれ違い、冷たい関係か離婚になるわけである。
特に、二つ目に書いた問題は根が深く、ニートにもつながるし、不登校児童の件にもつながるわけである。また、学校は経験していない島田療育園の身障園生たちも、そこの型にハメられていたのは事実である。
人間は多様ならば、もっと多くの願望があっていいのに。友人関係も、恋愛関係も個性が見え合わなければできないし、また、後者の恋愛の果てに結婚があるにしても、一つ一つ違った形になるはずなのに。
それはともかく、僕の真にやりたい事は何だろう。判らないのか。それとも、すでにしたのか。これから出るのか。難しく想う。...。