知っている限りの身障者やハンセン氏病元患者の結婚例がほとんどそうである。最初は誰もが共感するような愛を交わすのに、時が経てば、双方が煩わしくなり、すれ違いから大ゲンカも増え、離婚にも。一方が身障者、もう一方が五体満足の夫婦に傾向が顕著だが、身障者同士、元患者同士でも同じである。でも、何も身障関係だけでもない。五体満足の人たちの夫婦も大体が同じである。
長い目て見れば、僕の訪問した島田療育園も同じだった。今は創立期の事を小説に書いているが、創立期は確かに愛がたくさんあり、天国みたいだった。でも、次第に職員に投げやりみたいな発想の人たちが増えていった。僕の訪問した1977年は「島田病=無気力・投げやり」と言うこともよく聞いた。他の多くの場でもそうだろう。雪印や東芝、旧国鉄などの職場にも当てはまる。もっと大きく、旧ソ連がまさにそうだった。
以上はいずれも「精神力で愛したり、仕事した」点で共通している。自分の精神の力で愛そうと。だから、続かなかった。誰も他の人を愛したり、仕事するような精神力は持っていないわけである。相性の問題ではない。イエスや親鸞上人が指摘したように、神とか仏みたいなものを信じて、そこから無限の力をもらわない限りは愛も、まともな仕事もできないわけだが、日本に限って言っても、明治以来の事実上の無神論が当たり前になっている状況では以上になるのも当然だろう。特に、見た範囲だが、教派の別なく、クリスチャンほど、自分の力の愛や仕事をする傾向が強い。無神論状態から聖書を読むと、愛みたいな事ばかり目に付き、「神のままに」みたいな肝心な事に気が付かないかもしれない。
無論、以上は介護離職の問題にも通じるし、親の育児放棄にも。精神病多発にも。若い時に僕も結婚したら、以上になった気がしている。今頃は何をしていたやら。
因みに、僕と親しくしてくれた元患者の伊藤まつさんは、素朴な信仰心があったため、夫と幸福に暮らせていたわけです。参考になります。