聖書についての発言が多くなった布石は今年春。コロナで世間が騒然としたため、内面に目が向き、歎異抄を熱読するようになったのが始まり。その後、聖書も多く読むように。秋になり、聖書が好きな人と知り合い、分かち合うように。それで神や仏は人を結ぶことが実証できたわけ。過去の福祉関係や教会関係の狂い、恋愛レスや離婚が多い根本原因にも気が付いた。全生園の伊藤まつさんとの交友も、伊藤節男伝道師の仲介のお陰であり、伊藤節男氏の上には「神」がおられた事も判ったと。
相模原市の障碍者大量殺人事件、引きこもりや精神病多発、施設職員の高齢者や障碍者への暴力事件も、根にはそのような事も深く絡んでいるし、根本原因かもしれない。
日本やヨーロッパでは、信仰は個人の心だけの問題とされ、社会問題として扱われないが、それはおかしいのではないかと。ヨーロッパでは、イスラム系児童の公立学校のスカーフ禁止が問題化しているが、そこまでしてまで、学校に信仰色を消す必要はあるのかと。むしろ、消さない方が信仰を互いに認め合うようになるから、良いと思うが。小さい時から正しい祈りについて学べるわけだし。
1900年前後、ニーチェは『神の死」を述べ、1964年ごろの哲学者・文芸評論家の亀井勝一郎は「神の追放は、人間にとって勝利だったのか」と疑問を呈したが、それらの皮肉の通りだと。
とにかく、祈りの大切さに再び僕も気が付いた以上、今後は祈り中心の交友をするわけです。