(会にこだわる事は愚かだが)
「会の為」は、会社組織・国家組織・教会組織も含まれるでしょう。そのようなものにこだわると人権、命、心の痛みに鈍感になるのかもしれない。東芝や雪印の欠陥商品隠ぺいとか。顧客が電気事故や食中毒で死ぬ可能性もあったのに。
牧師会が隠ぺいした一牧師の少女レイプも典型例。また、これとは別に、その教派の大学教授と教え子の女子大学院生が恋愛し、肉体関係。教授は妻子ある男性。女性は妊娠。教授が女性を殺した事件が、70年代にありました。当時の法廷やマスコミは単に「大学内の恋愛事件」として片付け、教授は長期懲役刑になりました。でも、近年、インターネットで検索すると、その他、二人は信徒同士でもあり、教会でも付き合っていたとの事。その教派は明治から教会組織にこだわる面がありますが、「その教派内の関係も殺人の要因である」という見方も載っていた。例えば、教授ならばセックスすれば妊娠するリスクの事も判るし、女性側も判る。それでも、あえてそうした。性欲抑制以前に、二人は命の重みに鈍感になっていたと言わざるを得ない。少女レイプした牧師にも通じますね。そこが2つの事件の根本問題でもあり、更には、戦前は日清戦争以来、戦争に協力してきた根の一つとも言えます。ならば、会組織の為の活動は恐ろしいわけでもあると。伝統文化を愛するなどの気持ちは良いと思いますが、同様に国家組織にこだわってもいけないでしょう。