トシコロ

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トシコロさんの日記

2020年 10月23日 11:09

実録小説・シマハタの光と陰・第16章・マー君の夢と昇天

(Web全体に公開)

  マー君こと堀川政男は漫画がこよなく好きである。テレビ漫画の主題歌も一通り知っていた。話の筋にも詳しく、例えば、「オオカミ少年ケンの5月17日に放送したものは、ケンがオオカミたちと一緒に動物をつかまえて、サーカスに売り飛ばす商人をやっつけて、ジャングルから追い出す話だったよ。そのジャングルはインドにあるんだよ」などと。漫画は園児たちと一緒に見ることはあっても、職員たちは詳しくは覚えられないので、「マー君は頭がいいね」と言って、感心するばかりである。


  マー君は


   「ぼくは大きくなったら、漫画家になるんだ。面白いマンガを描いて、日本中の子供たちを楽しませる。漫画家ならば、歩けなくてもできるし。早く大きくなりたいな」


 と職員や林田博士、園児やボランティアたちにいつも言い、シマハタを明るくしていた。時には、次郎物語などを好む秦野幸雄とチャンネルを取り合うこともあったが、彼は誰にも好かれていた。彼はやんちゃで、好きな事にしか興味を示さない。テレビのニュース番組には、野球と相撲のことしか、関心を示さないわけである。漫画のほか、野球と相撲も好きで、とくに横綱の大鵬が好きである。大鵬が勝つと機嫌がいい。


  「今日の大鵬は強かったね。海乃山を上手投げで、投げ飛ばした。大きくなったら、大鵬のことも漫画に描くんだ」

と皆に言い、女性の一職員が

  「そうね。大鵬の漫画もいいかも知れないわ。描けば、大鵬さんもきっと喜ぶわ。ぜひかいてね」

とやさしく返事をした。寝たきりの野口栄一君も

  「その漫画を早く読みたいな」

と小さな声で言った。

  そのようなやり取りの日々が数年間続いた。




  話は昭和43年(1968年)7月。その少し前に中国南部で発生としたとみられる「香港カゼ」と呼ばれる強力なインフルエンザが日本にも入っていた。

その情報を医師会から聞いた林田博士は

  「困ったことになりそうだ。大正時代のスペイン風邪以来の強さらしいし。多摩地区にもウィルスが来なければいいのに。秋以降はわがシマハタでも、手洗いとうがいの徹底など、対策をしなければならない」とつぶやいた。


  それから8ヶ月近く過ぎた昭和44年3月3日夜の身障室。いつもならば、園児のテレビのチャンネル争いで「マンガがいい」と言うマー君の調子がおかしい。

  「テレビは見たくない。今日のマンガはつまらないに決まっているから。幸男君の好きなものを見ていいよ」。

  秦野幸雄は

  「ありがとう」とだけ言ったが、職員たちはおかしさに気が付いていた。

 「明日はここでは雪が降りそうで、寒いから、マー君は早く寝ましょうね。夕ご飯もかなり残したし」

と言われ、彼は別室で寝かされた。検温したが、まだ平熱である。




3月4日は早朝から、関東一円が大雪であった。シマハタでも激しく雪が降っていた。そのような時はマー君は必ず喜ぶが、今日は朝からぐったりしている。起きて

  「のどが痛いよ」

と言い、鼻水も激しく出ている。一職員が彼のひたいに手を当てた。

  「大変よ。熱が高いわ。さっそく、検温しなければ!」

と叫ぶ。

  39.4度もあった。すぐに林田博士に連絡して、博士は急行した。

  「のどの腫れがものすごい。セキも出てきた。明らかに香港カゼだ。ウィルスがどこかから紛れ込んだのだろう。他の人に移らなければ良いが。強いて言えば、発熱前に隔離して良かった。ここは、まず、解熱剤を与え、ビタミンとブドウ糖の注射を打ち、様子を見ることにする」


とひきつった声で述べた。


  午後になり、体温は37.8分まで下がったが、セキと鼻水は激しくなる一方だし、のどの痛みも強烈らしく、何も話せない状態になった。のどをさわるとものすごく熱い。体温は下がったが、症状はさらに悪化している。3年前にあった一園児のインフルエンザからの肺炎の時の初期症状よりも激しいわけである。職員たちもマー君に絶えず氷のうを当てているが、効果は空しい。その夜から断続的なセキも出て、睡眠もできない状態になった。気管支炎も併発した。さらには、流動食を与えても必ず嘔吐してしまう。胃にも熱があるようだ。当然、体力も相当落ちた。そのような状態が三日続き、呼吸困難に陥った。林田博士は

  「肺炎だ。人工呼吸器もある大病院に入院の連絡を至急取る」

と述べ、3月7日の夕方には病院に転送されたが、治療も空しく、後日後の12日には天国に旅立った。奇しくも、その日も雪が降っていた。

  死ぬまでのどが痛かったせいか、遺言らしきものは残さなかった。3月15日にはマー君の家で葬式が営まれ、関わり合った職員が代表で三人参加。林田博士も弔電を打った。




4月になり、園内の庭でお花見も兼ねて、マー君のお別れ会が開催された。マー君のお母さんや深沢先生も参加して、お茶を飲みながら、身障室の園児たち、職員、事務員の一部も参加して、時おり、マー君の好きだった漫画の主題歌や童謡を歌ったり、漫画や大鵬の話もし合った。マー君に一生懸命、字を教えていた深沢先生は特に感慨深いものがあった。ぼっそり

  「足し算の勉強をいやがり、私はむりやり教えたかな、と今は反省している。とは言え、『ポパイ』や『アトム』などの漫画の主人公の名前を読み書きできるようになり、ものすごく喜んだマー君の姿が忘れられない。それを想うと、教えて良かったと思う。マー君が良かったのだから、それで良い。それにしても、教え子の葬式は教師として非常に悲しいものだ」

と独り言をいった。


  一職員が持っている携帯ラジオからは、いつしか、メリー・ホプキンズの「悲しき天使」の歌が流れた。英語なので誰も歌の意味はわからないが、秦野幸雄は

  「悲しき天使。マー君みたいだね。ぼくはマー君とテレビのチャンネルもよく取り合ったけれど、亡くなってみると寂しい。マー君は本当にマンガが好きだったんだね」

と独り言をいうように述べると、女性職員の一人が涙声で

  「マー君、天国で大きくなって、漫画家になってね」

と言い、後は泣き伏せた。それを見て、一同が泣きに泣いた。時は経ても、マー君のことは誰一人忘れることはなく、その六年後に秦野幸雄は、手記文にマー君の事を書くのである。

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