<『怪獣黙示録』そして『怪獣惑星』への期待>
2017年12月10日 記
社会現象とも呼ぶべき大ヒット作となった『シン・ゴジラ』の後を受け、単にアニメという手法に留まらず3部作構成の採用というなにもかもこれまでのゴジラシリーズから離れた作品が製作中という知らせを受けたほぼ1年前、やはりと思ったのを覚えています。長い中断の後に世に問われる『シン・ゴジラ』の翌年に公開される作となれば、前作が成功しようが失敗に終わろうが、同じ路線を踏襲することは無意味どころか危険とさえみなされたであろうことは容易に想像できたからです。そして前作が結果として庵野監督の鋭い時代の勘を反映し今の日本人の気分というか求めるものを巧みに掬い上げて成功したことで、あらかじめその後塵を拝することを禁じられてスタートした今回の3部作は異色作、実験作としての位置づけにおかれることが定まったようにも思えます。
けれど僕はだからこそ、この連作に期待しています。なぜならここには『シン・ゴジラ』が意識的に切り捨てた初代『ゴジラ』の命題の1つ、人間の愚行が怪獣を生み出しそれが人間を破滅の瀬戸際に追い込むという構図がはるかに容赦ない形で貫徹されているからです。
例によって僕は事前情報をあえて自分からは探さないままこのアニメ第1作を観ました。そこで初めてこのアニメには語られていない前史があることに気づき、それがノベライズ版であることを知り手に取ったのです。その結果、僕はこの連作を3部作ではなく4部作、つまりアニメ版ゴジラではなくメディアミックス版ゴジラだと捉えねばならないと考えるに至りました。
というのは映画だけ観ていたのでは、ラストにちらりと姿を現す少女が何者かも、なにを意味する存在なのかも知りようがないからです。けれどノベライズ版には再三に渡り「人類が地球の支配者でなくなってもそれは人類の滅亡を意味しない」「人類が怪獣と共に地球で生きていく道はあるはず」というテーゼが語られていて、それが残る2作のストーリー中で浮かび上がるであろうことがあのラスト1コマの持つ意味であることが悟られるからです。そしてそれがおそらくメカゴジラによるゴジラとの死闘とは相容れないものとして描かれるのではないかとも。
思えば地球人類に対して異星人2種族というこの組み合わせ、実に見事だと思います。全く対照的な異星人同士のコントラストもさることながら、彼らの中に混じっていると、2万年もたって地球に戻ってきた地球人たちは見ようによっては侵略者の一員とさえ見えかねず、しかも巨大ゴジラにダメージを受けた主人公たちが地球で2万年も生き延びてきた者たちに助けられたということは、まさしく彼らの住み処の間近で森を焼き払い山を崩すというまさにゴジラが当時の人類に行ったのと同然のことをしていたことにもなるわけで、変わり果てた地球を奪取するには侵略者としてふるまうことを避けられないことさえも示唆されているからです。『ゴジラの逆襲』から『シン・ゴジラ』に至る全ての続編はもちろん、ある意味初代『ゴジラ』よりも先鋭化されたものとして描かれるであろう人間たちの行い。それがどのようなものとなり、そしていかなる結末を迎えることになるのか。かつてない期待と共にアニメ第2作、そして完結編となる第3作を僕はいま待ち望んでいます。
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コメント
もも
2020年 09月17日 02:14
今回も熱く語られましたね
ふしじろ もひと
2020年 09月17日 05:06
もも様おはようございます。
なにしろゴジラについては思い入れもあるものですから(汗)