ふしじろ もひとさんの日記

2020年 09月13日 22:55

私家版(地下版?)ゴジラに至る道:その13

(Web全体に公開)

<ゴジラ映画にみる戦争体験の風化 13>

*戦争の惨禍を象徴するゴジラを作り得ない時代

 ゴジラというキャラクターを戦争の惨禍の象徴として造形するのなら、人間の行為によりゴジラがあるべき姿から損なわれていることが目に見えてわかる必要があります。そうでなければ相手は怪獣なのですから心情的に共感することは困難です(マニア的愛着はここでの論点とは違う次元のものですから無視します)

『逆襲』以来のゴジラはねじ曲げられた存在ではなく初めからゴジラとして生まれたもののように描かれてしまったので、姿形に人間の行為の爪跡を感じさせることはますますできなくなりました。昭和のシリーズではヘドラとの戦いで片目を潰され手の骨が露出した姿に間接的ではありますがそういう構図が見られた程度で、『デストロイア』のvsゴジラは先行する5本もの映画でのゴジラの強大さが強調されすぎて、死すべき時が来たから死ぬとしか受けとめようのない映画になっていたのは先に述べたとおりです。
 だから機龍の設定と暴走がいかにゴジラ本来のあり方の近みにあったか、いかに可能性を秘めたものであったかはいくら書いても書き尽くせないほどですが、『MG1』という映画自体はその可能性を引き出す方向ではなく困難なミッションをやり遂げる爽快感でまとめられてしまいました。そんな制作陣の理解不足ゆえに混乱に陥ったのが事実上の後編である『MG2』です。ここでは機龍という存在を海に還すことがシナリオの目標として設定されたため、機龍に対する人間の行為へのスタッフの把握の甘さがまともに露呈してしまいました。

『MG2』ではインファント島の小美人が「ゴジラの骨を海に還して下さい」と主人公の中條義人たちに訴えるところから始まります。『MG1』では小学生の女の子沙羅が父親たちがゴジラをよみがえらせることへの疑念として語っていたことが、ここでは人間でない存在からの警告として扱われるため、物語に関与することはできています。しかしそれは死んだ者に手を触れてはいけないという神の領域を侵す行為への戒めとしてのニュアンスが強く、人間が水爆実験でゴジラを怪獣に変貌させたところまで指摘するものではありませんから(その点は沙羅も同じですが) ゴジラに焦点を当て戦争の惨禍の象徴として造形するというより、ゴジラを含む全ての生命の尊厳を訴える一般論になっています。これはこれで正しいのですが、ゴジラの出自の意味が結局は忘れ去られているようで、もはや戦争の惨禍というイメージにリアリティを実感できないまでに戦争の記憶が風化していることも感じてしまいます。
 ゴジラの骨を内蔵した機龍がそれゆえにゴジラを呼び寄せるということがほのめかしに終わっているのもこの映画の弱いところです。もっともこの設定は最初のゴジラが日本を襲う理由にはなりえないので扱いにくいところがあるのですが(機龍がいなければゴジラは絶対やってこないとまではいえないので)中途半端にほのめかされるのが災いして人間が機龍を投棄する意味が曖昧になっています。機龍に対する人間側の立場が小美人=モスラと鋭く対立して警告どおりモスラが人間の敵にまわるところまで突っ走れば別のスリルも出たのでしょうが、機龍を投棄することが人間の利益にもつながると(それも中途半端に)ほのめかされるのでブレーキがかかっています。
 人間がゴジラに襲われたら機龍の代わりにモスラが戦うというのもそれが見せ場ですから仕方がないとはいえ、人間の行動が後手にまわりストーリー上で受け身になるという怪獣が多く出る映画に特有の欠点が出ています。とりわけこの映画では、ゴジラに苦戦するモスラを見かねて首相が機龍投入を決断するという実に具合の悪い展開になっています。モスラが口ほどにもなく見えるのはゴジラほど狂暴な怪獣ではないので仕方ないとしても、人間に主体的な行動をさせないよう状況がどんどんでき上がってしまうシナリオになっているのです。前作ではゴジラと機龍しかいなかったせいで表面化せずにすんでいた問題が、ここではモスラを登場させたばかりに露呈しています。問われているのは人間の行為であるとスタッフがもっと自覚していれば、こんなシナリオにはならなかったはずなのに、人間の行為に対する想像力以前に問題意識そのものが希薄になっている様が見てとれてしまいます。自らの行為がもたらすであろう事態に苦悩しつつ選択を強いられるどころか、人間は目の前の状況に振りまわされるばかりで内省する機会が与えられません。しかもラストで機龍は自ら傷ついたゴジラを抱えて日本海溝に没してゆきます。人間に機龍を投棄するつもりがあろうとなかろうと関係ない幕切れで、せっかく人間をゴジラになんとか対抗させようとしてきたxシリーズの特質が台無しになっています。
 なにより具合が悪いのは、人間の意志で何もなし遂げていないせいで人間に全く責任もないようにしか見えない話になっていることです。あらかじめ免罪されてしまっているというべきかもしれません。人間がモスラとも結局は対立せず、ゴジラの怪獣化や機龍への改造も断罪されず、問題の幕引きにさえ関与しないで終わるという展開は、機龍を海に還す物語として根本的に間違っていると僕は思います。そして状況に応じて動いた結果どんな事態を招こうと我々に一切責任はないという感覚がいわゆる現実主義と結び付いたときこそ、芹沢が最も恐れた事態が到来するような気がしてならないのです。

 ゴジラという怪獣も芹沢のような孤高の苦悩もしょせんは絵空事です。確かに現実の人間の行動は目の前の問題に対応するのがやっとの近視眼的なものでしかないのでしょう。しかし写実主義の映画ならともかく絵空事の映画がそんな水準でリアルであることは自らの存在意義を封じるに等しいものです。次回は怪獣映画でしか描けないものとはどういうものであるのかを振り返ることでこのとりとめない連載(というのもおこがましいものですが)の一応のまとめにしたいと思います。


その14 →
https://www.alldesu.com/diary/70165



← その12
https://www.alldesu.com/diary/70139

コメント

もも

2020年 09月13日 23:36

次回が楽しみです

ふしじろ もひと

2020年 09月14日 02:43

もも様こんばんは。ここまでご覧下さりまことにありがとうございます。

このシリーズ概観は次回がラストですが、その後は大ヒット作となった『シン・ゴジラ』とヒットしたとはいい難いアニメ版ゴジラ3部作についての話になり、その結果イメージされた僕なりの初代の続編の原案が続きますので、お付き合いいただけましたら幸いです。

SNS オールギャザーへようこそ!

パスワードを忘れた方はこちら


新規登録はコチラから

他のアカウントを使って新規登録・ログインする場合はコチラから

オールギャザーとは?

世界初!社会貢献型SNSです

AG募金に、ご参加を!

ヾ(´▽`)ノ

募金カウンターの仕組みは?

サイトを利用すると、募金カウンターがカウントし、自動的に募金活動ができます。

例えば

ログインをするだけでカウント

日記やコメントやコミュニティを書く、見るだけでもカウント

友達のプロフに訪問してもカウント

利用するほど、募金活動ができます。

すべて無料です!

会員の皆様には金銭的負担は一切ありません。

すべて無料で、ご利用できます。

どうぞ安心してご利用ください。

登録は簡単!

→ 新規登録 ←

ーーーーーーーー
お笑い月間!
ちょっと、クリックして
みてください^^
  ↓
→あなたの運気を上げます!

→みんなの声
ーーーーーーーー

お知らせです