<ゴジラ映画にみる戦争体験の風化 5>
*初代ゴジラの骨への冒涜にいたる半世紀 その1
『逆襲』からほぼ半世紀にわたり、戦争のイメージを封印された状態でゴジラ映画は作り続けられました。自己の存在を規定する重要な要素の1つを封印されたゴジラというキャラクターはその欠落を補うかのように、時代の変遷にあわせ変貌してゆく過程を昭和シリーズで見せたあと、長い眠りに入ります。平成のvsシリーズでもその部分はやはり封印されたまま、しかし初代ゴジラの絶対性の復活のみは試みられた結果、根拠を欠くため物語の中で処理できないような形でゴジラは不滅の存在になってしまいました。『ビオランテ』での不滅の生命へのまなざしもシリーズとして深められることはないまま『デストロイア』におけるメルトダウンという形で一応の幕引きがなされます。初代ゴジラの絶対性とは戦災被災者の無力感の裏返しとしての絶対性であったということは、被災者の無力感を描かなくなった『逆襲』においてゴジラが人間によってなんとか退けられる存在になったことを考えれば明らかなのですが、裏付けのない絶対性を与えられたvsゴジラはオキシジェン・デストロイヤーを取り込んだ怪獣によってさえ説得力を持って殺すことのできない存在となり、死ぬべき時がきたから死ぬとしかいいようのない自壊によってようやく退場を許されました。vsゴジラほどストーリーの中で持てあまされたキャラクターは映画史上いなかったようにさえ思います。
21世紀に入ったxシリーズは最初の『ミレニアム』こそvsシリーズの欠点を引き継いでいましたが『メガギラス』からは人間をなんとか対抗させようという努力が新しい展開を見せるようになりました。vsシリーズが続き物であったためゴジラの扱いを変えようがなかった反省からか、xシリーズはそれぞれが初代の後に直接続くものとして1本ごとに設定を変えられたのもプラスに作用したように思います(本当はいつ終わってもいいようにという理由だったのかもしれませんが)
そしてゴジラ映画史上最も凶悪なゴジラが知能犯的に生み出されたのが『ゴジラxモスラxキングギドラ』です。以後この映画を『ギドラ』と表記します。
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コメント
もも
2020年 09月06日 18:23
今日は時間が早くて良いですねー
ふしじろ もひと
2020年 09月06日 20:55
もも様こんばんは。なにせ日曜でしたから(苦笑)