<ゴジラ映画にみる戦争体験の風化 3>
*『逆襲』は『ゴジラ』の反省から生まれたのではないか?
『ゴジラ』に関する反応の記録は評論家の記事(あまり好意的とはいえず、ゲテモノ、おおげさ等の論評が目立ちます)や観客がどれほどこの目新しい映画に驚いたかを伝えるものが多く、この映画が人々に喜ばれたかどうかについては直接読み取れません。『ゴジラ』が非凡な映画であることは間違いないのだから観客も好意的だったのではないかなと、昔は僕も漠然と思っていたものでした。
そんなに単純な話ではないかもしれないと思ったのは阪神淡路大震災以来です。震源地から遠く自分自身への直接的な被害は少なかったものの、よりひどい目にあった人々に数多く接する立場にいたおかげで、大きな災害がトラウマになってしまう事例にも少なからず出会いました。戦争体験、特に大戦末期の空襲の体験とはスケールとしては6千人もの人々が亡くなったあの災害が全国各地で起こったのに匹敵するわけです。
戦災体験者が『ゴジラ』を観るということは、震災の被災者が出来のよすぎる地震パニック映画を観ることや3・11の被害者が洪水パニック映画を観るのと同等の行為であるわけですから、娯楽からは程遠いものとして受けとめられた可能性が高いはずです。インパクトは確かに強烈だったでしょうが好意的に迎えられたわけではなかったのではないでしょうか。
冒頭で述べたように、それを直接示す記録は見当たりません。でもそのことを念頭におくならば、『ゴジラ』のわずか1年後に制作された『逆襲』がなぜああいう映画になったのか、筋が通るところがたくさんあると僕には思えます。
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コメント
もも
2020年 09月05日 07:00
なるほどですねー
ふしじろ もひと
2020年 09月05日 07:30
もも様おはようございます。
阪神淡路大震災も四半世紀前のことになりましたが、あの体験がなければこんなふうには考えていなかったかもしれません。