トシコロさんの日記

2020年 07月28日 11:55

日本のコロナ差別からハンセン氏病差別の事も感じられてきました

(Web全体に公開)

   若い時、ボランティアや友人の力を借りて、盛んに多磨全生園に行った時は、元患者たちの寂しさは感じても、日本のハンセン氏病差別特有の嫌らしさ、複雑さは知る事はできなかった。そうかもしれない。日本のその差別は、日本の世間の中にあるわけだから。各地にある「ハンセン氏病療養所」なるものは、その患者たちが差別され、追いやられた結果に過ぎず、そこをいくら見ても「差別する」側の事は出てこない。一番大事なことは「差別した側の罪業」だから。差別された側の寂しさみたいな事だけを伝えても、差別した側の罪業を伝えなければ、似た問題が起きた時に差別は復活するわけだし。本当に今はコロナを通して、復活しているわけである。


  僕がそこに行った1980年前後は首都圏ではその差別は息をひそめていた。多くの元患者たちにすし屋やラーメン屋が当たり前のように出前をしていたし。「ハンセン氏病差別は消えた。良い世の中になった。一緒に酒でも飲んで楽しくやろう」と言っていた元患者さんもいたわけだし。でも、2002年ごろには、熊本県で元患者たちが旅館に宿泊を拒否される事もあったし、伊波敏明という元患者の作家の本には、自らの身障リハビリ所の経験として「身障者たちに自分の茶碗に黒いバツ印を付けられた」とか、不可解な事も書いてあった。今思うと、世間にハンセン氏病差別は伝えられ、身障者の中にも加害者になっていた例もあったわけである。そして、今は。ハンセン氏病差別がコロナに投影された気が僕にはしてならない。今回は医者やナース、その家族もが。規模が広がっていると。ハンセン氏病も、コロナ肺炎も一つの病気に過ぎないのに、そこから人格までもが差別される。おかしい。

  以上の2つの差別の最もおかしい面を言おうか。患者や元患者の「心」が無視されている点である。菌やウィルスを撒き散らす物体としか見ていない点。医者やナース、その家族への差別も同じである。人間は物ではない。ロボットとは違うわけだが。でも、我々はそれらの患者抜きにしても、どれだけ他人の心を大切にしているだろうか。今の文明の欠陥の現れかも知れない。根は深い。(因みに、「日本の」とあえて述べたのは、外国には違った事情があるからです。韓国では、1960年にハンセン氏病隔離は止めていますし、他の多くの国々も。日本は遅れています)

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