結論から先に言えば、「希望」ではないか。
マルクスの言葉に「矛盾は進歩の原動力」というものがあるそうだ。僕はまだ「資本論」の中でそのような言葉は見出せていないが、中学の時に一先生から、中学生向けに平易な言葉で教えられ
た。その時はただ記憶するしか能がなかったが、卒業後に色々な場で矛盾に立ち会いながら、進歩に結びつくような行動や言動をしない人たちを多く見てきた。ニュースを見ても、歴史を見ても、そのような例は多い。とは言え、歴史を見ると、ある矛盾が出た時に社会や科学の進歩になっている事も多い。何が両者を分けているのか。
「希望」ではないか。矛盾は社会や科学の進歩の「きっかけ」にはなると思う。大体、それは物理的、経済的な問題が多いし。でも、進歩させるのは、それに関係する人々の「希望」という、熱く前向きの心だと思う。確かに、構成員が何の未来への希望も持てない心理なら、何も起きないわけだから。
新約聖書の後半のパウロの言葉にも、「愛と希望、信仰はいつの時代でもある」とあるように、希望のエネルギーは強烈で、未来を変え、社会を変え、人々の心をつなげる働きをする。更に、僕が思うに、その三つは不可分。例えば、希望無き愛や信仰はあり得ないし、愛無き希望や信仰はあり得ないと思う。パウロは「一番大きなものは愛」と言っているが、僕はその三つは同じだけ大きく、根も同じだと見ている。
さて、マルクスは経済学者で、「宗教はアヘン」と言ったように、心理学は知らなかったと見える。更には、マルクスの生きた時代はまだ心理学が発達していなかった。心理学が世界的に発展した時代は、マルクスの没後のフロイトが活躍する20世紀近くになってからである。20世紀になり、ユングが現れ、さらに発達した。つまり、マルクスは時代的な限界があったように思われる。仕方なかったと思う。ただし、マルクスの著書を聖典みたいに扱った旧ソ連社会は、本当に人々の希望のない無気力社会になり、上から与えられたノルマをこなすだけの人達ばかりになり、早くに潰れたわけである。
もう一つ。「希望」を持ち合う事は人と人をつなぐから、それも友人・恋人・結婚縁を作るわけである。希望を持ち合えない者同士は絶対に友人、恋人、夫婦にはなれないだろう。あらゆる面で希望は大事である。
コメント
Yoshi
2020年 07月16日 11:18
夢や希望を共にしてこそ 団結力が強まるわけですもんね~
これがないと 仕事してても つまらなくなりますよね^^;