若い時に行った島田療育園の問題が今になり、書けるように。やっと問題が見え始めたわけです。
でも、同じころに行った墨田厚生会館、多磨全生園、高島平団地の様子は書けませんね。行った時はそれらに問題があるとは思えなかったわけです。
内、「墨田厚生会館」は当時あった墨田区の身障者の福祉作業所。ただし、そこの身障者のほとんどは就学猶予。字も読めない。それが何を意味するか、77年当時の僕は判らなかった。大変な状況があったわけです。そこは2回行き、すぐ止めました。島田療育園に目が向いていたから。同様のボランティアの人たちも多かった。
高島平団地も。そこはその住民たちも問題が判らないから、訪問者たちはもっと判らない。
多磨全生園は差別の根で元患者同士が対立していたわけで、これまた外部者には判りませんでした。
でも、判らないなりにも行って良かったです。それらに行った人たちのほとんどは今でも沈黙。当然だと思うようになりました。一部の人が小説なりを書けばよいと思うようにも。問題が見えてきたから、僕は島田を小説化しているわけですね。
島田に行き、悲惨さにショックを受けた女性の方もいる。その姿に、最近、イルカ虐待に心痛めている女性の姿をイメージ的にだぶらせている。だから、僕も気になった。昔の因縁ですね。過去・現在・未来の時の区別はないのかもしれません。