迫る足音に最初に気づいたのがオースだったのは、さすが戦闘員というべきだろう。だがせっかくのその能力を、侵入者の接近を警告したり迎撃体制を整えるためにではなく、パンの耳をあと何本食べられるかをはじき出すのに使ってしまったのは、貧窮がどれほど無残に人を変えてしまうかという実例の1つにほかなるまい(正確にいえば「人」でないにせよ)
明かりもついていない中、着実に躍り場を巡り最後の階段へと進む足音に、ようやく他の4人も気づいて顔を上げる。明日の糧たるハンドバッグを死守すべく、ボロ座布団の山の中に突っ込みその前でふんぞり返るボース。そんな彼らの見つめる中、暗がりから浮かび上がるように戸口に立つ細身の人影。
若い女だった。20代半ばを越えてはいないだろう。黒無地のスーツとズボンに身を固めたシルエットは背後の闇に溶け込み、上着の襟に逆三角に切り出されたシャツの白が整った顔を下から照らすかのようだ。だがその顔に備わっているはずの柔らかみや華やかさを、思い詰めたようなこわばった表情が完全に削ぎ落としている。さして背が高くもない相手のまとう雰囲気に呑まれた5人組は食べかけのパンの耳を持ったまま、場違いなほど真摯な黒い瞳に石化されたもののごとく固まっていた。
気配を探るような様子の後、やがて女が口を開いた。
「あれはどこ?」
およそ聡明とは言い難い彼らがその一言で相手のいわんとするものを察することができたのは、ポンポス星人固有の旺盛な生存本能の根源である上思わぬ大判振舞いにとことん焚きつけられた食欲とそれが、分かち難く結び付いていたからにほかならない。たちまち5人の宇宙人の顔が、餌皿に近づく者を威嚇する犬にも似た険呑かつ意地汚い面相へと変貌する。
「姐さん帰りな。ここはあんたの来るとこじゃねえぜ」
鼻にしわを寄せて唸るオース。
「あれがあんたのだって証拠なんか」「こ、このバカっ!」
カン高い声で吠えるミースの口を慌てて押さえるメース。
「そんなもの、ないといったらない」
仲間の失態を懸命にいい繕うとするドースだが、相手の雰囲気に腰が引けて尻尾でも巻いたような情けなさ。そんな部下たちに業をにやし、肥満した土佐犬のごとき巨体をゆすって立ちあがるボース。
「おい、女っ」
脅しつけようと下腹に力を込めたとたん、ブツッと音を立てて変身ベルトがはじけ、昆虫怪人というにはいささか締まりのないご面相が露呈する!
「ボース様!」「くそ、バレたかっ」「逃がさないよ!」
戸口に回り込み相手の退路を断つ部下たち!
「おのれ正体を見られたからはっ」
仁王立ちのボースの悪役然としたセリフが唐突にやむ。
女の表情が一変していた。だがそれは人間ならざるものに相対した者が浮かべるべき驚愕や恐怖ではなく、息をのむほど沈痛なものだった。その顔が俯き、苦い声が呻く。
「……手遅れだったのね」
懺悔さながらのその声に、思わずボースが下を向いた顔を恐る恐る覗き込もうとすると、やおら顔を上げ叫ぶ女。
「ビースト覚悟!」
瞬間、爆風さながらにその身から吹き出す闇と光! 乱れた黒髪の間から伸びる角と軋みをあげて鋸状に変形する上腕。尻餅をついたボースに吊り上がった眼から叩きつけられる殺気。悲鳴をあげて部屋を飛び出す4人の部下!
「お、おい! ワシを置いていくなっ」
叫ぶ肥満体の昆虫人間めがけ一旋する斬撃。その時ポンポス星人の生存本能に基づくもう1つの特性たる逃走能力が発動、平常の10倍の瞬発力が黒い旋風をぎりぎりで躱す。打ちっぱなしのコンクリート床が爆発するように砕け、瓦礫もろとも吹っ飛んだ巨体が逃げる部下やガラクタを巻き込み階下まで一気に転げ落ちる!
「逃がさないっ」
鬼と化した女も身を翻し後を追う。
誰もいなくなったその部屋で、やがて座布団の間から染み出る黒い影。それは口吻の長い爬虫類の姿で床を流れ、暗がりの中へ溶け込んでゆく。
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「旧湾岸地区エリア21LでレベルA怪獣反応。データベースに該当なし!」
B・i・R・D作戦室でオペレーターのヒトミが異変をキャッチ。真柴リーダーの指示が飛ぶ。
「レベルA? 人間大ね。衛星画像を!」
「建物の損壊は確認されません」
「タカフミとソラは現場へ。衛星からのデータは車に送るわ」
「ラジャー!」
コメント
もも
2020年 07月06日 02:09
今回も楽しめました
ふしじろ もひと
2020年 07月06日 06:00
もも様おはようございます。
いよいよ本日からは本編に入りますので、よろしくお願いいたします。