特に身障者は、祭り上げられるか、子供扱いのどちらかなようだ。強いていえば、一緒に何かをしたり、勉強や社会活動している身障者や聴障者は共感され、上の者に見られ、そうではない例はストレートに障碍の感覚が出て、子供扱い。島田で、一人の女性ボランティアが「M氏は勉強してすごい」と共感し、他の園生は目に入らなかった事もあった。後年思うと、「勉強できない・嫌いな園生はどうなのか」と疑問になるが。園生間を差別してみていたと言おうか。また、何がすごいのか。それも判らない。
社会的に認められるとは何だろう。乙武氏は社会的に認められていたのか。疑問だと。部落や天皇制の矛盾を追及しているルター派の一牧師から「共感を重んずる社会は内向きになる。天皇への共感は日本にしか通じない狭いものだ」と言っていたのを覚えている。「共感の裏側が部落やハンセン氏病差別だ」。その通り。戦前の天皇や軍人への共感の裏で、共感されない人たちは差別されていった。
もう一つ。島田の一職員が「多くの人達から、園児の世話の仕事をして偉いと共感されるが、その度に、私は偽善者ではないかと自分を疑う。迷惑だ」と僕含めた人たちに気持ちを訴えていたのを思い出す。その人はクリスチャンでもあるので、そう言われると余計違和感を持つとか。僕も一緒に島田に行った人たちの中でも、職員に共感する人が多いが、そのような人たちほど、会仲間の聴障を持つKを相手にしなかった。子供扱いすら。これもおかしいと。職員に共感する人たちの気持、僕は判らなかった。ここにきて、「職員への共感の裏返しの一つが聴障持つKへの子供扱い・無関心」だったと気が付きつつある。
職員も対等に扱われたかったわけです。