トシコロさんの日記

2020年 06月11日 11:18

日本のキリスト教と共感・旧友たちへのメール

(Web全体に公開)



  どうも明治以来、日本のキリスト教は共感に神を見出す傾向が強い。戦前はその共感の方向がかなり天皇に向かったようだ。また、天皇に共感をさせる教育を戦前は小学に行なっていたわけだし。「天皇は共感するお方だから、キリストに近い・同格」という見方が明治から日本人クリスチャンの間で行なわれていた。無論、イエスも「共感」対象だった。昭和10年代、軍部が天皇を利用して声明や命令を出しても、クリスチャンたちは従ったわけです。共感は盲従の面もあるのかな?と、その歴史から思いますね。そして、多くのクリスチャンが戦争協力。もう日清戦争の時からそうしていましたが。「殺すな」という聖書に反する事を大体的にした。共感と愛は違うし、共感を極めても神なんかは見出せない事が歴史からもよく判ります。同じころのドイツでも、ヒットラーへの共感から大変な事になったし。
  戦後もその性質は変わらない。80年代、日本のクリスチャンたちは星野富弘氏に大変共感し、それに「神」を見出そうとした。それを見て、僕は変に思った。気持ち悪くも。確かに、星野氏は絵に大変な努力をされている。それは僕も認めますが、但し、星野氏もただの人。チヤホヤし過ぎるし、戦前の天皇も連想してしまったわけです。確かに、どちらへの気持ちも「共感」という同じものですね。
  同じころ、例の教派で僕は生き神様みたいに祭り上げられそうになった。後年気が付くに、その信徒たちの「僕への共感」が根にあった。これが理由の全てだったかもしれない。しかも、僕自身は共感されている事には気が付かなかった。そのような事もあるから、なおさら厄介てすね。
  「共感」も差別を生みます。何も障碍者に限らず、共感できない人は劣る人になるから。自動的にそうなる。また、共感を買うような事ばかりすると、自分の考えも消えて、生き方も狂うわけです。
  更に、共感には、未来性もない。今だけで。そのような事を追及すると、その場しのぎの事しかできなくなり、人と一緒に未来を作る事もなく、孤立もしてしまいます。実際、日本の各キリスト教派は孤立、離婚、自殺が多く問題になっています。カトリックの自殺例もある人から詳しく聞いた事もあるし。信徒間も悩みを無視し合う。僕に話してくれた人も、どうにもならない気持ちでした。
  とは言え、日本のキリスト教だけの問題でもないでしょう。それが移植された19世紀の欧米のキリスト教がおかしかったと。根はそこから始まるようです。困ったことです。

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