日本では、身障運動、ボランティア活動、市民運動と誤解されたようです。困った事でしょう。
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1970年代、東京の諸々の身障団体とボランティア団体は内向きな会合とコンパに終始して、特にかなりの身障者は「身障運動=会議」と誤解したようだ。ボランティア活動=会議と誤解した人たちも当然いただろうし。それらが早く廃れた一因にもなっています。
その流れもあるだろうか、日本が色々と落ち込んだ90年代後半以降、今度は地方で「○○市民会議」なるものが多く作られ、これも社会変革を目指したが、教育にしろ、福祉やエコにしろ、差別問題にしろ、解決策は出ないまま、いつの間にか、各立ち消えになった。市民運動=会議という誤解も生まれたようだ。
それらは本当は行動だけを指すわけである。あるいは、訴えとか。内向きになり、「訴え」ができるだろうか。おかしかった。身障者の場合、個人が何かをする事が運動。何でも良い。絵が好きな人は絵を描けばよいし、小説を書きたい人は書けばよい。旅行や恋愛すらも運動に当たるはず。
昔、僕は会議でハンセン氏病差別や統合教育の話をたくさん聞いたが、少しも判らなかった。同じ会議に出たボランティアの旧友たちも判らなかった。中には、誤解して、変な行動して大失敗した気の毒な例もある。
諸々の差別問題にしても、会議で話し合って解決策が出るのならば、100年以上も前に世界中の差別は消えているではないか。おかしいわけである。
以上の会合は、三密そのものでもあり、本当は全人間にとって、不快なものだったと今の僕は気が付いている。「早く潰れた」一因も、不快さだっただろうが。因みに、僕は体の関係である時期から酒を止めたが、そうした途端、かつてのコンパは本当は不快なものだった事に気が付いた。酒が好きだったから、飲むことに集中して、不快さが気が付かなかっただけの事である。