自己主張的恋愛。花田春兆大先輩が妻となられた女性に対したものと、酷似していた。氏の手記文は僕は77年に読み、その2年後に花田氏の「折れたクレヨン」という著書に、氏の結婚に至るいきさつが書かれてあり、そのきっかけになった恋愛がM氏の恋文の様子と非常に似ていた事に注目し、以来、40年間、僕は妙に考えてきた。以下ではなかったか。
花田氏とM氏は直接は会っていないだろう。会っていたら、M氏は花田氏の事を僕にも話すわけだが、話していないから。でも、間接的に花田氏は島田の教育に関与して、園生たちに自己主張を説いた。また、花田氏の恋愛や結婚の様子は職員たちには花田氏自身はもらしただろう。「そんなに私が気になるなら、私の所についてきませんか」が愛の言葉だったわけだが。その様子を職員の一部がM氏などに伝え、M氏が真似をした。その可能性はかなりあると思う。
因みに、花田氏の妻は先祖代々の漢学者の家。儒教の「女は男に従順たれ」の精神が幼少の時から身についていた女性。だから、プロポーズに成功し、結婚もできたと思う。他の女性たちにその戦法でラブ攻勢掛けたら、確実に失敗するわけである。どんな時代でも、国でも。花田氏は自分の成功談は広めたり、他人に真似をさせてはならないものだったが。大先輩を批判する資格は僕にはないが、花田氏の生き方は他の身障者に通用するだろうかと、僕は疑問に思っている。M氏悲劇の理由の一つもこんな事ではないかと。
僕の行った時の島田は身障園生はほとんどが学齢期は過ぎていた。でも、一人だけ、学齢期の子もいた。僕は教職課程は学んでいないため、教育の事は判らず、その子の教育の事には一切関与はしなかった。これで良かったと思う。又、当時はすでに統合教育の時代だったが、そこにも僕の受けた教育反映はしなかった。これも正解だったと。無責任に教育を働きかけると、非常に結果が悪くなるから。それに僕自身は教育関係に向いた人材だとも思えないし。過去の道筋の肯定がまたできたようだ。