僕が相次いで所属したVYS、世田谷関係と、「地域福祉=近隣の人たちが仲良くなり、それを通して介護をこなしていく事」と大体が考えていた。でも、それは最初から実現不可能だし、近隣の人たちといきなり仲良くなりたいとは誰も思ってもいないはず。それゆえにVYSでは地域福祉は単なる空論に終わり、世田谷関係では、会員間がムリに仲良くなろうとして、大ゲンカになり、解散した。仲良し関係は情緒主体で、理性が絡まず、危うい事を皆知らなかった。大体、友情は学問とか芸術などの真理を追求し合う事でしか芽生えないもの。コンパして、遊んでからは友情は生れず、友人は作れません。
また、経験あるからよく判りますが、情緒的な仲良し関係の場合、人格まで突っ込んで見合う事もないから、例えば、僕の場合は単なる身障者、又は、車いすの人でしかありません。僕の行った教会関係は更に情緒性が強かったため、僕や故H氏は更にそのようにしか見られていなかった。故H氏がそこでケンカばかりしていたのも当然でした。もし、大ゲンカがなければ、世田谷の身障者たちは近隣に「仲良し関係」を求め、地域の足場にしようとしたと思いますが、そうしてもうまくいかなかったでしょう。実際はそれ以前の段階で自滅したわけです。何も世田谷関係に限らず、仲良し関係からは共生や福祉はできません。
因みに、地方都市の場合は、障碍者関係以前に部落関係の面が現れるわけです。伝統的に近隣が仲良くすると、情緒性が非常に強いから。その差別も情緒性には違いないですからね。情緒性は差別を強めるようです。また、実際の恋愛も、仲良し関係からは生れません。疑似恋愛はできても。甘え中心の感情。良くないわけです。