正義感や同情などの「感情」で介護職をする人たちは今でも失敗や離職が多い。又、理性にこだわる例も。成程ねえ。感情も、理性も当人だけにとどまり、人をつながないんだよね。かと言って、「愛」は抽象的な観念でどうにでも取れる。愛も旗印にはできないわけだ。昔のボランティアや身障運動も失敗したわけだし、今も形を変えて繰り返されている。「意思疎通」を旗印にしないとダメではないの。自分の状況や気持ちを多くの人達に伝え、また、同時に多くの他人の気持ちを聞くという。それだけが人生と社会を改善する方法。例えば、例の島田では、寝たきりで声量も非常に弱い野口栄一君の書きたい文章を一人の真面目そうな男の職員さんが一生懸命聞き取り、代筆していた。その場面が僕の心に残ったし、そこからも皆に「意思疎通が大切」である事が伝えられるね。因みに、理性も独りよがりには違いない。感情は当てにならないと言って、理性百%になると、「人間もただの物質に過ぎない」という考え方になり、自殺・虐殺・戦争肯定の考え方にもなるようだ。その典型がナチス。皇帝時代のドイツには、戦前日本よりも徹底した教育勅語みたいなものがあり、同様に意思疎通をドイツ社会は欠き、そこに敗戦や経済混乱から、ナチスが出た。ナチスは「感情では人はどうにもならない」と。それはそうだが、理性主義はもっと恐ろしかった。ナチスほど、意思疎通を欠いた思想はない。歴史からも生きるヒントが生まれるね。意思疎通こそ、人が生き、共に生きる道だと。
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因みに、感情は誰でも変わります。これもあてにならない証拠です。