70年代後半。僕も入っていたVYS。「社会変革」を唱える者も出たが、会員たちは意思疎通が苦手な者ばかりで、社会変革どころか、ボランティアも、交友や恋愛もできず、挫折していった。それから数年後、例のキリスト教関係で部落関係から社会変革を志す会。VYSのリプレーを見たわけである。彼らも独り言みたいな事ばかりで、交友などもできず、挫折。
歴史を見れば、例えば、坂本龍馬は意思疎通力に長けていて、手紙もうまく、大衆など、多くの人達と常に意思疎通した。この辺に社会変革活動家の成否のカギがありそうだ。20世紀も。毛沢東、ガンジー、レーニン、ケネディなど、成功した社会変革活動家たちはいずれも意思疎通に長けている。逆に、意思疎通力のない活動家はこぞって挫折。中国の江青は典型例である。日本の赤軍の永田洋子は仲間との意思疎通さえもうまくいかなかったではないか。
日本にくくろう。確かに、戦前の教育勅語には意思疎通が欠落している。僕も最近「再発見?」したわけである。遠い昔、プロテスタント系の者から「当時の権力者が人民同士の意思疎通を恐れて、わざとそれを抜いた」と聞いた事も思い出されたから。でも、それは憶測にすぎず、根拠がない。「教育現場の欠陥の現れ」とした方が自然であり、むしろ、その方が恐ろしい。実際、陸軍と海軍が意思疎通取れなかったように、権力者側にとっても意思疎通は大切である。それで敗戦で日本の権力機構はいったん潰れたわけだし。そして、戦後も意思疎通は欠落したまま。会社内の意思疎通がうまくいかず、東芝も、雪印も潰れたわけだし。僕が2つ以上の場で見た問題はそれらの大きな事にもつながっていたわけである。その意味では、貴重な見聞だったと言えよう。