台風が心配ですね。今日書いた通りです。尚、今日はあえて全生園は加えなかった。そこは行っても僕も共生が見えなかった。今になり、理由が判ってきた。元患者同士は仲が悪く、差別の理由を巡り、対立もしている。外部者とも一対一の付き合いを望む例ばかり。それは仕方ないにしろ、一対一の関係では内向きにお互いがなり、共生も社会の事も出てきません。僕も伊藤まつさんの事からは社会の事は見えなかったわけです。島田を追い詰めたものは何かと考えたのとは大違いで。ならば、公の文には書けないわけですね。それでも、まつさんは僕やボランティアの人達とは共生しようとしましたが、「荒井やボランティアの人たちが優しくしてくれる」と他の元患者や職員さんたちに言い回ったとか。嫉妬したり、自分に人が来ないから悲しく想う元患者も言われた人の中には多く出て、一職員が僕などに「他の元患者さんの所に行ってください」と言う始末。無論、時間的、体力的にもムリだし、僕の場合は求められて行ったに過ぎないのに。交友を自慢する。まつさんはそれだけ寂しいにしろ、普通は交友は自慢はしないですよね。そこから、まつさんはタダの人であったことが判ります。まつさんを聖人視した人もいましたが、それはおかしいです。それはともかく、まつさんからも、全生園からも僕は社会に訴えるものは見出せていません。少なくとも、ボランティアが全生園を訪問するスタイルでは、どうにもならないでしょう。遊びで良いから、一緒に外部者と楽しむ企画をそこの内外で行なわない限りはどうにもなりません。
「まつさん聖人視」はどういうわけか、クリスチャンが多かった。教派の別なく。おかしかったわけです。その気持ちは判りません。
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もっとも、一対一よりも、僕が行った教会関係のように、組織にこだわる事の方が始末に悪いわけです。その方が狭くなる。狂ったわけですよ。