トシコロさんの日記

2019年 10月05日 12:50

「島田活動の仕事化」の補足説明と、僕がそこに行った深いいきさつ

(Web全体に公開)

  まず、島田活動の仕事化を考えた人たちは、そこの光と陰が交錯していた1970年代後半に行った人たちに限られていた事を追加的に述べます。大体、1973年あたりから79年まででしょう。その訪問者の中には、「島田療育園から社会変革をしよう」と言った人たちもいました。当時の僕は、社会変革はロシア革命みたいな事だと考えていたので、意味が判らず、変に思いましたが、そうではなく、島田の事から福祉に世間に目を向けてもらい、今の言葉で言うことの、バリアフリー社会を作ろう、という意味だったようですね。何も施設に限らず、在宅の障碍者も必要なだけの介護を受けられる社会という意味です。それなら、僕も意味が判り、納得できますが。


  さて、島田は79年ごろから行き詰まりがひどくなり、2代目園長はほとんど園児・園生の外出を禁止したようです。投げやりな気持の職員も増え、死亡した園児の遺体に冷たい水を掛ける職員さんも出てきた。お仕置きも多くなった。そのころに行った人たちは以上の事は考えなくなった。身障運動家を中心に、潰す事ばかり考える人たちが増えたわけです。仕事化とか社会変革どころではなくなった。そうかもしれません。光はなく、「陰」ばかりならば、「潰すしかない」という発想にもなってくる。本当に潰す運動が83年に繰り広げられました。

  時代はさかのぼり、活気と愛にあふれていた創立期。インターネットで検索すると、光明養護学校の僕の大先輩にも当たる、重度脳性まひを持つ俳人・作家の花田春兆氏が盛んに小林博士に脳性まひの教育などの件を働きかけていた事が判ります。花田氏は島田療育園と小林博士をずっと絶賛もされている。花田氏が島田療育園を訪問したかについては、僕はまだ知りませんが、小林博士に手紙を多く書いていたのは事実です。例え訪問できなかったにしろ、花田氏の元に小林博士は勿論、多くの職員たちや後援会の人たち、当時のボランティアたちも多くの情報の手紙が届き、氏は島田の様子も掴んでいた事でしょう。愛と活気に満ちた、親以外の介護者の多くいる素晴らしい所に思ったに間違いありません。「光」しか花田氏は知らなかったようですし、それは当時訪問していたボランティアたちにも言えますね。「光だけ」の所は、確かに深い感動や共感は伴いますが、問題意識は湧かないのではないでしょうか。問題意識が湧かない場合も、仕事化とか社会変革という発想は出てきません。

  花田氏は僕よりもはるかに文才にあふれた方です。また、83年の潰す運動をした身障者の中にも、小説を書いていた方はいます。元々文学が得意で。これも僕よりも文才豊か。でも、どちらも島田小説という発想は出ていない。僕も創立期か79年以降に行けば、同じだったわけです。行った時期ですね。

  島田に行ったいきさつ。最近は深層心理学を絡めて見るようになっています。集合意識とか無意識というもの。島田療育園なるものが作られ、それには強い集合無意識の力があり、早くからボランティアも、後援会も引き寄せた。その引き寄せが強くなり、やがて僕の所属していた福祉会にも及び、多くの会員が行くようになり、その流れに乗って、僕も行かせてもらった。その集合無意識は強烈だったから、激しいケンカと引き換えに、多くのものを僕は見た。極めて多くのものを。当然、後年まで印象に残り、こうして小説化もしている。こんないきさつですね。それで説明付くわけです。

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  次の次の章に、花田春兆氏の事も少し書きます。公人みたいな人だったので、実名を使わせていただきます。

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