トシコロさんの日記

2019年 09月19日 11:33

小説を書く事には丁度良い時期に島田に行きました

(Web全体に公開)

思えば、僕がそこに行った1977、8年は、「光と陰」の両方が混在していた時期だから、両方の面を僕はしっかり見る事が出来た。小説も、随筆も、その両方を書かなぃと一本調子の文体になり、成立しないものである。光だけは上べだけの調子になるし、陰だけは読みにくくなるわけだから。


  僕の数年後に行った身障者たちはミニコミで、職員を強く叩くなど、陰の面ばかり書いていた。気持ちは判るが、僕の見方とも違うわけで、何が違ったのか、長年考え続けた。小説を書き進めて、判ってきた。「行った時期が違えば、見方も違ってくる」わけである。もし、僕も82年に行けば、同様の事を書いたと思う。当時だから、何かのミニコミ会に入って。ブラックホールにも思えたと。別に彼らとの考え方の違いでもないわけだ。彼らはきつい運動をして、体を壊して早く他界された人もいたし、行き続けている人たちも口を閉ざしている。陰の面ばかりでは、気持ちが重くなり、心の疲れも半永久的に持ち、何も書く気がしなくなる。察するまでもないわけである。

  逆に、職員たちがNHK紅白歌合戦の審査員になった1965年に行けば、光の面ばかり見るわけだから、僕も問題意識も持たず、そのまま忘れたと思う。

  身障で、学校卒業後は書く事が大好きになった僕。島田に行っても、その経験は文筆で生かしていく事しか能がない訳だ。だから、例のM氏からも「人体実験」の広めを頼まれたわけだし。偶然とは言え、丁度良い時期に行ったものだと思う。令和新党の新議員さんの事から、障碍者の仕事の問題が日本中で話題になっているが、書く事しかできない僕はちゃんと運命・歴史・天から仕事の種を与えられていたわけである。更には、島田とほぼ同時に行った高島平子供会からは、その延長としての「子供向け文」なるものが。2つが僕の仕事の大きな柱である。良かったし、その2つの種を仕事化させる力は、僕の自発意志。自発意志がなければ、何もできない事にも小説を書き始めてから気が付いた。やや脱線するが、全ての人間関係も当事者たちの自発意志で行なわれる。友情は勿論、男女の愛も。それに気が付かず、人と付き合えない人たちもかなり僕は見てきた。とにかく、自発意志は全ての基礎かも知れない。

SNS オールギャザーへようこそ!

パスワードを忘れた方はこちら


新規登録はコチラから

他のアカウントを使って新規登録・ログインする場合はコチラから

オールギャザーとは?

世界初!社会貢献型SNSです

AG募金に、ご参加を!

ヾ(´▽`)ノ

募金カウンターの仕組みは?

サイトを利用すると、募金カウンターがカウントし、自動的に募金活動ができます。

例えば

ログインをするだけでカウント

日記やコメントやコミュニティを書く、見るだけでもカウント

友達のプロフに訪問してもカウント

利用するほど、募金活動ができます。

すべて無料です!

会員の皆様には金銭的負担は一切ありません。

すべて無料で、ご利用できます。

どうぞ安心してご利用ください。

登録は簡単!

→ 新規登録 ←

ーーーーーーーー
お笑い月間!
ちょっと、クリックして
みてください^^
  ↓
→あなたの運気を上げます!

→みんなの声
ーーーーーーーー

お知らせです