先に書いたものの補足だが、昔の島田療育園は園生児の心身の状態によって、部屋が分かれていた。僕が行った所は身障児者室だったが、その他に知的障碍室もあれば、植物人間みたいな者ばかりの室もあった。「島田に行くと、他への同情が薄れる」は事実だが、その心理的変化も行った室によっても違っていた。僕の場合は身障室ばかり行き、差別とか虐待、人体実験の事を特に聞いたので、他の差別問題に鈍感になり、その面の同情をしなくなった。「島田がこの世で一番差別されている」と思ったわけだ。一方、植物人間室にばかり行っていたボランティアの中には、他の身障者や元患者、盲人などを見ても同情しなくなった例もあるようである。「植物人間に比べれば、他の脳性まひ者やハンセン氏病元患者、盲人はマシだ」とでも思うようになったのだろう。僕もその室に一回行ったから、その人の気持ちも判ったわけだが。又、その人は「身障運動家たちは、身障と健全者の違いをよく述べるが、誰でも高齢になれば、体がマヒするから、その違いはない。身障運動家たちの話は判らない」とも述べていた。一時期とは言え、植物人間たちに向き合うと自然とそのような気持にもなるのかもしれない。
細かな違いはあるが、島田に行った人達の感覚は世間ずれしたものがあるし、それゆえ、それを知らない人とケンカばかりした人や、自ら孤立した例もある。島田から離れて相当たってもそうであった。行く人が世間ずれ。ならば、島田に勤務していた職員たちの「その後」はどうだろうか。僕は知る方法もないが、気になる事でもある。