書いた後、まず思った事は、島田療育園関係では、「神・歴史・M氏に与えられた任務を淡々とこなす」だけで僕は良い事です。これから実録小説は非常に難しい事がいくつも出てきます。特に、「人体実験」の事は。でも、以上の延長ならば、書けるでしょう。逆に、例えば、M氏の気持ちの変化を書くとか、余計な事はしてはいけないとも思います。余計な事をするくらいなら、何もしない方がマシでしょう。
多くのボランティアや身障運動家たちの例を思い出すと、島田に一度でも行くと、同情心みたいな事がマヒするようです。僕もそうでした。島田以外に、苦しんでいる人や差別された人たちを見ても、「島田よりもマシじゃないか。大した事ない」と思う。僕もそうでしたが、ハンセン氏病療養所に行っても、島田経験者のかなりが差別などについて「島田よりもマシだ」と思うわけです。反応は二つに分かれていました。気が合う元患者と出会った場合はそのまま楽しく付き合う。同情のフィルターがないわけですから、すぐ仲良くなれる。でも、細かい面は絶対に見れない。何故なら、普通はハンセン氏病に問題意識を持ち、同情しつつも元患者さんと付き合い、話を聞き、理解していく。同情➔理解のパターンらしいです。同情が理解のきっかけになる。でも、そのきっかけとなる同情がなければ、いくら長く付き合い、話を多く聞いても、上べしか理解できないわけです。僕もそうでしたし。相互理解はムリでした。それから、気が合う元患者と出会わなかった場合は、そのまま療養所を止めています。
聴覚障碍者の訴えを聞いても同じです。僕自身もそうでしたし。聴覚障碍者は独特の差別がありますが、そのような人と付き合っている時は「島田の方がひどい」と思った。他にも同様の例がかなりあった。そのような一人と縁が切れた後、僕も聴障者の大変な状況の事に気が付いたし、同じ事を言っていた元ボランティアもいます。因みに、その耳の聞えない一人は島田も訪問しましたが、「聞こえなかった」せいでしょう、関心は持たず、すぐ止めています。聞えなければ、苦難の情報も入らず、何も判らない。仕方なかったと思います。
そのようなわけで、元島田訪問者たちは大体視野が狭くなっています。でも、僕はその直後に、別の会で、暴力性精神障碍を持つX君と付き合い、そこからその件の大変さと精神病院の残酷さも知った。その二つは島田療育園よりも更に悲惨で、閉鎖的。平和な時は最も差別された存在なので、その方にも目が向き、視野が狭くなるのは食い止められたようです。X君と付き合って良かったし、X君本人とその会の仲間たちに深く感謝しているわけです。